石倉城

  • 読み:いしくらじょう
  • 別名:-
  • 所在地:群馬県前橋市(Mapionで位置を確認)
  • 主要城主:長尾氏、内藤氏、寺尾氏
  • 文化財指定:-
  • 訪問日:平成19年6月9日

文明17年(1485)に上野国守護代長尾忠房の嫡子憲景が築城したのが始まりとされています。
永禄6年(1563)、上州へ勢力を伸ばす武田信玄が城主長尾長景不在の隙にこの城を乗っ取り、利根川対岸の前橋城攻略の拠点とします。永禄8年(1565)には上杉謙信によって奪還されますが、翌永禄9年に再び奪い返し、内藤政豊に城を任せます。その後、長篠の合戦で政豊が討ち死にすると、後を継いだ息子の外記は北条氏に降り、寺尾左馬助が石倉城に入ります。天正18年(1590)年には徳川家康の進攻を受け、ついに落城しました。

石倉城二の丸公園。
周囲はほとんど住宅地化しており、石倉城の面影を垣間見ることはほとんど不可能です。

石倉城二の丸公園に建つ石碑。
ここにかつて城があったことを伝えるのは、今ではこの石碑のみとなっています。
写真の奥のほうに木が茂っていますが、そのさらに向こう側に本丸があったのではないかと思われます。

石碑の隣には、このような外郭図が建っています。
利根川沿いに築かれた本丸を二の丸、三の丸、外曲輪が取り囲んでいました。

外郭図の裏にはこのような鳥瞰図が。
石垣や白壁などが描かれていますが、こんな立派な城ではなかったと思われます。

武田・上杉・北条の三勢力の最前線に位置し、ころころと持ち主が代わった城です。利根川の川岸に築かれた石倉城は何度も洪水の被害を受け、現在では本丸のほとんどが激流に削り取られてしまっています。二の丸が公園化されているほかは、ほとんどが住宅地となり、城の面影を残すものはまったくといっていいほどありません。