内山城

  • 読み:うちやまじょう
  • 別名:仙蔵城、仙蔵の要害、千道の要害
  • 所在地:群馬県吾妻郡中之条町(Mapionで位置を確認)
  • 主要城主:成田氏、折田氏、真田氏
  • 文化財指定:中之条町指定文化財(平成6年12月1日)
  • 訪問日:平成20年4月27日

四万街道と暮坂街道の分岐点の東、比高150メートルほどの山の上に築かれた城で、中央の大堀切で北郭・南郭に二分されています。その築城時期はわかっていませんが、成田氏、折田将監の居城だったといわれています。永禄6年(1563)の岩櫃城攻略の際、暮坂峠ルートで進軍した真田昌幸はこの城を抑え、攻略の拠点としたと伝えられています。その後、永禄8年(1565)の嵩山合戦では、真田幸隆が嵩山城攻略の足掛かりとしています。嵩山城が落城するとその存在意義は薄れ、まもなく廃城となりました。

南郭の南方に造られた出城的な曲輪。
内山城にはこのような出城的な曲輪がいくつも設けられました。

南郭には送電用の鉄塔が建ってしまっています。ちゃんとした道がついているのはここまでです。鉄塔管理用のもので、本来の大手と道筋が重なっているかは不明です。

南郭の腰曲輪のひとつ。
内山城はこのような腰曲輪がいくつも連続する尾根式並郭構えの城ですが、藪に覆われてそのすべてを見ることはできません。

中央の大堀切。
内山城はここで北郭と南郭に分かれています。写真手前が南郭、奥が北郭です。

北郭に設けられた主郭。
南郭には祠の置かれた二郭がありますが、発見できませんでした。

北郭はこのような堀切が連続しています。

郭のほぼ中央の曲輪。
内山城の最高所です。
藪が深くなり、ここから先へは行けません。

上の写真の位置から沢渡方面を望む。
真田昌幸は岩櫃城攻略にあたり、写真奥のさらに奥の暮坂峠を越えて進軍してきたと伝えられています。

四万川の東岸、四万街道と暮坂街道の分岐の東の山の上に築かれた尾根式並郭構えの城です岩櫃城嵩山城攻略の重要な足掛かりでした。
現在、南郭方面は鉄塔管理用の道がつけられていますが、北郭方面は滑りやすい申し訳程度の道がついているだけになっています。