小川城

  • 読み:おがわじょう
  • 別名:-
  • 所在地:群馬県利根郡みなかみ町(Mapionで位置を確認)
  • 主要城主:小川氏、富沢氏、真田氏
  • 文化財指定:-
  • 訪問日:平成20年10月31日

小川城は、明応元年(1492)に沼田城の沼田景久によって築かれたのが始まりです。景久は次男の景秋をこの城に置き、景秋は小川氏を名乗りました。大永4年(1524)、北条氏の攻撃を受けて城主景奥が戦死、小川城は焼け落ちます。永正17年(1520)の戦いで、景奥の長子景季が戦死していたため小川氏は断絶し、城主不在の期間が続きますが、客分となっていた上方浪人赤松祐正が上杉謙信の裁可を得て小川祐正を名乗り、小川氏を再興します。天正8年(1580)、小川城は再び北条氏邦らによる攻撃を受け落城。祐正は越後へと逃げ延びました。その後、沼田地域は北条氏と真田氏の抗争が繰り返され、天正17年(1589)、豊臣秀吉の仲裁により小川城は北条氏のものとなり、富沢又七郎が城主となりました。天正18年(1590)に北条氏が滅びると、沼田地域は真田昌幸のものとなりました。のちに沼田藩主となる真田信利が明暦3年(1657)までこの城に居住していましたが、以降廃城となっています。

主郭と二郭を隔てる堀。
左が二郭、右が主郭です。
幅10メートル、深さ6メートルほどです。

主郭を西側から見たところ。
郭内には牡丹が植えられています。

主郭の所々にこのような土塁が残っています。

主郭の東側に一段低く設けられた笹曲輪。
こちらは紫陽花が植えられています。

笹曲輪の東側は切り立った崖になっています。

二郭の様子。
農地化、宅地化がすすみ、案内表示はあるものの遺構はほとんど見られません。

上越新幹線上毛高原駅の東、利根川に向かって突き出した尾根の上に築かれた城です。笹曲輪、主郭、二郭が設けられましたが、二郭は宅地化、農地化が進み遺構はほとんど見られません。二郭から主郭へとだんだんと低くなっていく様や、主郭背後の笹曲輪の存在など、名胡桃城との共通点の多い城です。