鷹川城

  • 読み:たかがわじょう
  • 別名:-
  • 所在地:群馬県吾妻郡嬬恋村(Mapionで位置を確認)
  • 主要城主:西窪氏
  • 文化財指定:-
  • 訪問日:平成20年10月25日

鷹川城は、下袋倉集落の北西の丘上に築かれた城で、物見台や狼煙台として使われていたと考えられています。鎌倉時代初期に源頼朝がこの地に狩りに訪れた際に、小さな砦のようなものが築かれたのが始まりとされていますが、源頼朝の三原狩り自体が架空の話と考えられているため、はっきりとした築城年代はわかっていません。
鷹川城が歴史に登場するのは一度きりで、永禄3年(1560)10月、鎌原城の鎌原幸重が真田氏を後ろ盾に、斉藤氏麾下の羽尾道雲と抗争を繰り広げた際、この城に西窪(さいくぼ)佐渡守が入り防衛に当たっています。この時、羽尾氏に味方した湯本善太夫、横谷左近、浦野下野守がこの城を包囲しましたが、戦らしい戦にはならなかったと伝えられています。

北側から城の平を見た様子。
「城の平」の名の割には起伏の激しい地形です。
遠くには浅間山が見えています。

城の平から城域北端の諏訪神社の丘を見たところ。
農道のカーブの内側が曲輪のようになっています。

諏訪神社を東から見たところ。

諏訪神社の西から吾妻川対岸の今井地区を見たところ。
鷹川城が断崖に囲まれていることがわかります。

神社のある平の上の平。
往時はここに物見台か狼煙台が設けられていたものと思われます。

城域北端も断崖絶壁になっています。
建物の裏が土塁のようになっていますが、遺構なのか建物が建ったことによってできたものなのかはわかりません。

西、北、東を吾妻川の断崖によって囲まれた丘の上に築かれた城で、広大な城の平とその北の諏訪神社の丘で構成されています。物見台もしくは狼煙台として使われていたと考えられていますが、遺構はほとんど見られません。