嵩山城

  • 読み:たけやまじょう
  • 別名:嶽山城、岳山城、武山城
  • 所在地:群馬県吾妻郡中之条町(Mapionで位置を確認)
  • 主要城主:斉藤氏
  • 文化財指定:中之条町指定文化財(昭和63年3月26日)
  • 訪問日:平成20年5月3日

中之条盆地を見下ろす嵩山は、標高789メートルの台地上の岩山で、古くから祖霊を祀る霊山として信仰を集めました。
永禄6年(1563)に真田幸隆の吾妻郡進攻により岩櫃城が陥落すると、岩櫃城主だった斉藤憲広、憲宗父子は越後の上杉謙信を頼って敗走。憲広の末子城虎丸は嵩山城に立てこもり、中山氏、尻高氏の支援を受け岩櫃城を奪った真田氏と四万川を挟んで対峙します。
永禄8年(1565)11月、真田幸隆は嵩山方の池田佐渡守父子を内通者として味方につけ、11月16日に五反田の台で激突。同日夕方には戦闘は嵩山城に移行し、翌17日に嵩山城は落城しました。越後からの増援を率いていた斉藤憲宗は自刃。城虎丸は大天狗から身を投げて自害し、斉藤氏は滅亡しました。その後まもなく嵩山城は廃城となり、元の信仰の山に戻っています。

吾妻川対岸の東吾妻町岩井地区から見る嵩山城。

ふもとの親都神社から見上げる嵩山城。
岩櫃山に負けず劣らずの天嶮で、修験道の山として信仰を集めました。

大手の道。
ふもとのたけやま館から頂上への道が続いていますが、こちらは西側の登山道です。

このような岩場もあります。岩を削った階段が設けられていますが、これは後世の改編かもしれません。

上の写真の少し上から中之条盆地と榛名山を望んだところです。

大手道を登りあげると天狗の平に到着します。
この平も曲輪としての機能を持っていたのではないかと思われます。
手前側が小天狗方面、右が大手道です。奥の道は中天狗、実城の平、大天狗に続いています。

嵩山の西の頂、小天狗。
この写真の奥、右、左は数百メートルの断崖絶壁です。

小天狗から岩櫃城(写真中央)を望んだところ。
かなり近く、真田氏と対峙していた頃には小競り合いが頻発していたものと思われます。

小天狗から美野原方面を望んだところ。
写真左の平で、真田軍と斉藤軍が激突しました。

小天狗から嵩山東側を望んだところ。
写真右の頂が中天狗、左の頂が大天狗です。

中天狗と大天狗の間の削平地は実城の平と呼ばれ、主郭になっています。
御城の平、無常の平とも呼ばれています。
写真の石仏群は、合戦後に設置されたものです。

実城の平の近くにある経塚。
嵩山合戦の戦没者を弔うために造られました。

嵩山の東の頂、大天狗。
真田勢に追い詰められた斉藤城虎丸はこの上から身を投げ自害したと伝えられています。
鎖を伝って頂上へ行くことができます。

ふもとに築かれた親都神社。

中之条盆地を見下ろす台地上の嵩山に築かれた城です。天然の地形を利用した城で、遺構と呼べるものは実城の平とその周辺の腰曲輪をのぞくとほとんどありません。ふもとの親都神社は5月に嵩山祭が行われ、多くの人が訪れます。