中山城

  • 読み:なかやまじょう
  • 別名:-
  • 所在地:群馬県吾妻郡高山村(Mapionで位置を確認)
  • 主要城主:阿左美・中山氏、赤見氏
  • 文化財指定:高山村指定史跡(平成元年11月30日)
  • 訪問日:平成20年12月13日

建保2年(1214)に武蔵児玉党の阿左美氏によって築かれたのが始まりとされています。この頃の城は現在の位置よりも東の山の上にあり、現在「中山古城」と呼ばれています。阿左美氏はやがて中山氏を名乗り、武田氏が吾妻へ侵攻してくると、徐々に武田氏配下の真田氏に従うようになります。しかし天正10年(1582)に北条方の白井長尾氏の攻撃を受け中山古城は落城。北条氏は現在の位置に城を築き、赤見氏が中山城に入ります。天正18年(1590)に北条氏が滅亡すると、城は廃城となりました。

国道145号線沿いに立つ中山城址の碑。
ここからは城内には入れず、回り込んで入ることになります。

北東から見た中山城。

三郭と捨曲輪を隔てる堀。
右が三郭、左が捨曲輪です。
この堀は城を東西に貫いています。

城域の南部に設けられた捨曲輪。
現在は一部が蒟蒻畑になっているほかは、藪になっています。

捨曲輪北端から見た三郭、二郭、主郭。
三郭と捨曲輪の間には土橋が設けられていたと伝えられています。

三郭の南西端には、中山氏の家臣奈良氏が建てた草蔵寺の跡があります。

三郭から城の西側を見たところ。

二郭と三郭を隔てる堀。
右が二郭、左が三郭です。
往時はもっと深かったと思われますが、現在は埋められて蒟蒻畑になり、わずかに堀の跡が残っています。

二郭の北部と西部を仕切る掘切。
堀はまっすぐに伸びて主郭北西端に突き当たり、左右に分かれます。
通路も兼ねていたと考えられています。

主郭。

主郭には、中山氏末裔の方によって城明神が祀られています。

北曲輪と北の帯曲輪を隔てる堀。

北曲輪。
農地化が進んでいます。

城の東端に築かれた下曲輪。

三国街道と沼田街道が交差する交通の要所に築かれた城です。主郭の北・西・南を二郭が取り囲み、二郭の西・南を三郭が囲む半囲郭構造となっています。大部分が農地と藪になっていますが、主郭を取り囲む堀をはじめ遺構がよく残されています。