羽根尾城

  • 読み:はねおじょう
  • 別名:-
  • 所在地:群馬県吾妻郡長野原町(Mapionで位置を確認)
  • 主要城主:羽尾氏、海野氏、湯本氏
  • 文化財指定:長野原町指定史跡(昭和49年9月21日)
  • 訪問日:平成19年8月17日

築城年代は定かではありませんが、天文年間(1532~1555)に羽尾幸全によって築城されたといわれています。武田信玄が西上州攻略を開始する以前、吾妻郡西部一帯は海野一族と呼ばれる豪族たちが支配しており、現在の長野原町大字羽根尾周辺は、羽尾氏の勢力下にあり、羽根尾城はその本拠でした。その頃、武田氏によって海野平を追われていた真田幸隆が一時期羽尾幸全の元へ身を寄せていました。
その後、幸隆は箕輪城の長野氏の元へ身を寄せましたが、旧領回復を目指す幸隆はかつての敵であった武田氏に恭順。西上州攻略の先方を任じられます。羽尾幸全は吾妻を追われ、幸全の弟海野幸光・輝幸兄弟が吾妻郡を任せられます。しかし天正9年(1581)、海野兄弟に対する誤解から真田昌幸はこれを急襲し、滅ぼしました。主を失った羽根尾城には湯本三郎右衛門が入城しましたが、やがて廃されました。

主郭。
木々が生い茂り、その全容を一目で確認することはできません。
主郭内には残念ながら、鉄塔が建ってしまっています。

腰曲輪。
主郭の南に土塁を挟んで腰曲輪が存在しています。
主郭よりも大きな木々に覆われているため、下草は多くありません。

主郭と腰曲輪を隔てる土塁。
高さは1メートルほど。右が主郭で左が腰曲輪です。
土塁の上には、長野原町教育委員会が建てた碑と案内板があります。

腰曲輪と二郭を仕切る堀切。
左側が二郭、右側が腰曲輪。
羽根尾城の堀切は、最も城の面影を残す遺構の一つです。

主郭北側の堀切。
左側を登っていくと、水の手があるとのことですが発見できませんでした。

二郭。
堀切を挟んで腰曲輪の南に伸びる尾根の上に設けられています。
南北に細長く、4~50メートルほど続いています。

山の麓にある海野長門守の墓。

城峯山の山頂に設けられた城で、主郭、二郭、三郭が残っています。が、三郭は発見できませんでした。ふもとには長野原町指定史跡の海野長門守の墓が残っています。