平井城

  • 読み:ひらいじょう
  • 別名:-
  • 所在地:群馬県藤岡市
  • 主要城主:山内上杉氏、北条氏、長尾・上杉氏
  • 文化財指定:群馬県指定史跡(平成11年4月30日)
  • 訪問日:平成20年12月16日

平井城は、永享10年(1438)に起きた永享の乱で鎌倉公方と対立した関東管領山内上杉憲実が、総社長尾忠房に命じて築城させたとも、応仁元年(1467)に上杉顕定が築城したとも、憲実の時代に築城したものを顕定が大改修したともいわれています。
山内上杉氏は、文明8年(1476)の家宰職相続をめぐる内紛をきっかけに、扇谷上杉氏と対立し抗争を繰り返しますが、永正2年(1505)に扇谷上杉朝定が実質降伏する形で和睦し、北関東へ勢力を伸ばしつつある北条氏と対立するようになります。天文14年(1545)、上杉憲政は扇谷上杉朝定、古河公方足利晴氏らとともに、北条綱成の守る川越城を包囲しますが、北条氏康の奇襲により包囲軍は壊滅、上杉朝定は自刃し、憲政は平井城へ敗走しました。天文21年(1552)、平井城は北条氏康による攻撃を受け、憲政は平井城を脱出。越後の長尾景虎(のちの上杉謙信)のもとへ逃れ、山内上杉の家督と関東管領職を景虎に譲りました。
その後、景虎によって平井城は北条氏から奪還されますが、上杉政虎と名を変えた景虎は永禄3年(1560)に関東に置ける拠点を厩橋城に移し、平井城は廃城となりました。

主郭西端に復元された土塁。
土塁の向こうには詰めの城である平井金山城が見えます。

復元された土塁の上部から三郭方向(北側)を見たところ。
宅地化が進んで遺構は残っていません。

復元された土塁の上部から二郭方向(西側)を見たところ。
農地の端にわずかに土塁の跡が見て取れます。
道路の辺りに堀があったと見られています。

土塁上部から主郭南側を見たところ。
主郭は北西を頂点とするほぼ正五角形の曲輪でした。

土塁上部から主郭北側を見たところ。
芝生の向こうに見える建物の辺りが主郭東部ですが、現在は畜産農家になっています。

主郭から南東を流れる鮎川を見下ろしたところ。
この方向は崖になっており、こちらから攻めることはできません。

復元された主郭東の曲輪。
土橋も復元されています。

主郭の東の堀とそこにかかる橋も復元されています。

復元された竪堀。

関東管領山内上杉氏の本拠となった城です。山内上杉氏最盛期の平井地区は、鎌倉と遜色のない繁栄振りでしたが、現在ではその面影もなくほとんど宅地化・農地化しています。主郭の一部は公園化され、土塁や堀が復元されています。