前橋城

  • 読み:まえばしじょう
  • 別名:厩橋城
  • 所在地:群馬県前橋市
  • 主要城主:長野氏、北条(きたじょう)氏、滝川氏、平井氏、酒井氏、松平氏
  • 文化財指定:前橋市指定史跡(昭和49年9月21日)
  • 訪問日:平成19年5月30日・6月9日

太田道灌が築城したとの説もありますが、延徳年間(1490年ごろ)に、長尾忠房が開城したのが始まりとされます。この城は利根川の氾濫により大部分が流出してしまいましたが、箕輪城の長野氏により再建され、箕輪城の支城となりました。
永禄3年(1560)以降は、越後の上杉謙信の関東出陣の拠点となり、永禄6年(1563)には北条(きたじょう)高広を城代に置きます。謙信が死ぬと、城は武田勝頼の手に落ちますが、天正10年(1582)に武田氏が滅びると、関東管領としで織田氏配下の滝川一益が入城します。同年、本能寺の変で織田信長が死ぬと、滝川一益は前橋を離れ、城は北条氏のものとなります。
天正18年(1590)、北条氏が滅びると、城は徳川氏のものとなり、平岩親吉が入城します。その後江戸期には酒井氏、松平氏が城主を務めました。明和5年(1768)、度重なる利根川の氾濫により一時廃城となりますが、幕末の文久3年(1863)、江戸北方の防備の必要から再築。しかし明治になると廃城になり、現在は群馬県庁となっています。

本丸。
現在は群馬県庁舎が建っています。手前は昭和庁舎、奥の高いビルが新庁舎。写真の右方向には群馬県警察本部、左奥方向には議会庁舎が建っています。
酒井氏の時代には前橋城にも天守がありましたが、現在はその面影を見ることはできません。天守は現在の議会庁舎のあたりにあったと考えられます。

わずかに残る土塁。
群馬県警察本部の裏手に残る土塁。高さは5メートルほど。

土塁の断面。
本丸西端に残る土塁の断面。
高さ5メートル、底辺10メートルほどの巨大な土塁です。
本来、本丸の西側に門はなく、この断面は後世になって切り崩された結果できたものです。

高浜門。
本丸の北側、現在の群馬県警察本部の裏手に設けられた高浜門。
門の面影を残す唯一の遺構です。

県庁32階展望台から見る二の丸周辺。
二の丸の一部は前橋市議会庁舎になっています。

県庁32階展望台から見る三の丸外郭周辺。
三の丸外郭は前橋公園になっています。
かつての利根川は写真中央に見える柳原放水路のあたりを流れていたと伝えられ、前橋城は何度も洪水の被害を受けています。

三の丸外郭の土塁。

上杉謙信が関東出陣の拠点とした城です。当時の前橋周辺は、上杉、武田、北条の三勢力の最前線であり、利根川の対岸に武田氏が石倉城を築き、川をはさんで睨み合うこともありました。
現在の前橋城は市街化が進み、本丸は群馬県庁、二の丸は前橋市役所、三の丸は前橋地方裁判所、三の丸外郭は前橋公園となっており、前橋城の面影を残すのは群馬県警本部を囲む土塁などごく僅かとなっています。