丸岩城

  • 読み:まるいわじょう
  • 別名:-
  • 所在地:群馬県吾妻郡長野原町
  • 主要城主:羽尾氏、真田氏
  • 文化財指定:-
  • 訪問日:平成20年3月22日

永禄年間(1558~1570)に羽根尾城の羽尾幸全が築城したともいわれていますが、定かではありません。北条氏の西吾妻進行に備えて真田昌幸が築城したともいわれています。「加沢記」に何度か丸岩城の名が登場していますが、その築廃城時期については不明な点が多い城です。
天正10年(1582)、武田氏滅亡により空白地帯となった吾妻へ進行を始めた北条氏は、須賀尾峠を越えて西吾妻へ入ろうとしますが、元武田氏配下で西吾妻を領有していた真田昌幸は、湯本氏、西窪氏、横谷氏、鎌原氏など西吾妻の武将を丸岩城に交代で駐屯させ、これに対抗しています。
丸岩城の近くには柳沢城があり、丸岩城と柳沢城が連携して須賀尾峠、吾妻街道に目を光らせていたものと考えられています。

丸岩城遠望。
吾妻側の対岸、林地区から望む丸岩城(中央やや右の断崖絶壁の山)。
頂上の標高は1130メートル。ふもとを流れる吾妻川の標高は約570メートル。比高560メートルにも及ぶ断崖絶壁の上に築かれた城です。

丸岩城入口。
国道406号須賀尾峠のすぐ下に丸岩への登山口があり、城の大手の道が登山道になっています。

大手の道。
岩がごろごろとしています。

さらに進むと人一人が通るもやっとの細い箇所もあります。

天然の堀切。
丸岩城には目立った堀切はありませんが、ここは天然の堀切のようになっています。左側が丸岩で、完全な独立峰になっています。

丸岩城主郭へと登る大手の道。
写真中央やや左には50cmほど高くなった土塁が設けられています。風除けのために造られたといわれていますが、この規模では風除けにはなりませんし、これがないからといって通れないわけでもありません。

主郭。
高さ50cmほどの土塁で囲まれた丸岩頂上です。さほど広くなく、狼煙台に用いられていたものと考えられます。

主郭北の曲輪。
一段低くなった曲輪が主郭の北に設けられています。小屋程度の建物が建てられそうですが、まとまった兵力は駐屯できそうにありません。

主郭の東側には一段低くなった曲輪が伸びています。

東へ伸びる曲輪には、最近になっておかれたと思われる祠らしきものがあります。写真ではわかりづらいですが「大弁才天」と読めます。

東へ伸びる曲輪の北にこのような腰曲輪が数段設けられています。
丸岩北面は断崖絶壁で防御の必要がないため、吾妻街道の監視のために設けられたと考えられます。

吾妻川の南岸にそびえる丸岩の頂上に築かれた山城です。付近に築かれた柳沢城と一体となり、須賀尾峠と吾妻街道の動向を監視していたと考えられています。
防御の必要がない丸岩北面に設けられた腰曲輪については、余湖氏が「旗指物をいくつも並べて大軍がいるように見せかけ、吾妻街道を行く者を欺いていたのではないか」との説を唱えています。