明徳寺城

  • 読み:みょうとくじじょう
  • 別名:天神山城
  • 所在地:群馬県利根郡みなかみ町
  • 主要城主:沼田氏、上杉氏、北条氏、真田氏
  • 文化財指定:みなかみ町指定史跡(昭和45年4月1日)
  • 訪問日:平成20年11月8日

南北朝時代に、会津の芦名氏の侵攻に備えて荘田城の沼田氏が築いた天神山砦が始まりとされています。戦国時代に入り沼田氏が滅亡すると、沼田一帯は上杉氏の領有を経て、天正7年(1879)に北条氏のものとなります。翌天正8年1月、明徳寺城は真田昌幸の急襲を受けて落城。城は真田氏によりさらに補強されます。天正17年(1589)、豊臣秀吉の仲裁により、名胡桃城以外の利根を北条氏、吾妻を真田氏のものと定め、明徳寺城は再び北条氏のものとなります。しかし沼田城代猪俣憲直がこの協定を破って名胡桃城を奪取したことをきっかけに、翌天正18年(1590)に北条氏は滅ぼされ、利根が再び真田氏のものとなると、明徳寺城はその存在意義を失い廃城となりました。

北側の虎口。
土塁が二重構造になっているのがわかります。

主郭内部。
郭内は農地として利用され、桑が植わっています。

北の虎口付近の土塁を主郭内部から見たところ。
高さ3メートルほどの堅固な土塁です。

主郭の西側の腰曲輪に建てられた水子地蔵。

水子地蔵から山の麓へ続く道。
明徳寺へ続いているものと思われますが、藪化しています。

南北朝時代から始まる古い城で、城の麓に建てられた明徳寺の名をとって明徳寺城と呼ばれるのが一般的になっています。単郭の単純なつくりですが、主郭は南北180メートルほどもある大きなものとなっています。