真田氏館

  • 読み:さなだしやかた
  • 別名:御屋敷
  • 所在地:長野県上田市
  • 主要城主:真田氏
  • 文化財指定:長野県指定史跡(昭和42年10月23日)
  • 訪問日:平成19年5月19日

真田幸隆自身が築いたとも、嫡男真田信綱が築いたとも言われ、その築城時期は、武田信玄の信州先方衆であった真田幸隆が天文二十(1551)に戸石城を攻略して小県周辺の所領をまかされた頃からと推定されています。
幸隆の死後は長男真田信綱が後を継ぎますが、天正3年(1575)の長篠の合戦で、武田側に参加していた信綱と次兄昌輝が戦死してしまいます。これにより、幸隆の三男武藤喜兵衛(真田昌幸)が家督を継ぐことになりました。
天正10年(1582)、武田氏が滅亡すると真田家は自立の道を歩み始め、翌天正11年には上田平に新たな居城・上田城の築城を開始します。上田城は天正13年(1585)に完成し、これにともなって真田氏館は廃されました。現在敷地に立つ皇大神宮は、館敷地の荒廃を防ぐため勧進されたものと伝えられています。

館の南面に設けられた大手門。
土塁の断面は半円形になっています。

西曲輪を北側から見たところ。
館内は東から西に向かって緩やかに傾斜しており、西曲輪は館内で最も低い箇所です。
西曲輪内は、グランドゴルフのコースになっています。

西曲輪の北西端に設けられた厩の跡。
このように厩の跡が残っているのは全国的にもあまり例がありません。

館の北面に設けられた搦手門。
大手門の反対側になります。

東曲輪。
つつじの名所にもなっています。

東南端部分。
この部分は、鬼門(北東)でもないのに鬼門除けのように角が内側に欠かれている奇妙な構造になっています。
ここには出入口が設けられていますが、後世になって造られたものです。

東曲輪内の皇大神宮。
昌幸が館跡の荒廃を防ぐために勧進したものです。館内の最高所で、屋敷はこの場所に建っていたと思われます。

真田昌幸が上田城を築城する以前に、平時の居館としていた館です。平時はここが居館として利用され、戦時には北東の小高い山に造られた真田氏本城で指揮を執ったと推測されます。