武田氏館

  • 読み:たけだしやかた
  • 別名:躑躅ヶ崎館
  • 所在地:山梨県甲府市
  • 主要城主:武田氏、平岩氏
  • 文化財指定:国指定史跡(昭和13年5月30日)
  • 訪問日:平成19年9月1日

永正16年(1519)、武田信虎がそれまで石和にあった居館をこの地に移したのが始まりとされています。以後、信虎、信玄、勝頼の三代に渡り、武田氏の本拠となります。
しかし、天正3年(1575)の長篠の合戦の大敗を受け、勝頼は韮崎の七里岩に居城を移すことを決定。真田昌幸に新府城の築城を命じ、天正9年(1580)12月に居を移しました。このとき、古府中の居館は徹底的に破却されています。
天正10年(1582)に武田氏が滅亡すると、織田信長配下の川尻秀隆が甲府に入りますが、本能寺の変後に甲斐国内に起きた一揆で川尻秀隆は殺害されます。その後、北条氏と徳川氏が甲斐の領有をめぐって争いますが、和睦により甲斐は徳川領となり、武田氏館跡に平岩親吉が入ります。平岩親吉は翌天正11年(1583)には甲府城の築城を開始。天正18年(1590)に徳川家康が関東へ移封させられると、甲府には羽柴秀勝が入ります。平岩親吉は甲府城を完成させて移ったため、古府中の館はこの時廃城となりました。

武田氏館は現在、武田神社となっています。
写真は館南の正面入口ですが、神社建設に伴って造られたもので、本来の虎口はここにはありません。

正面の堀。
案内板によると幅は10間(約18メートル)。本来は空堀だったようです。

館の東、大手馬出し。
土塁の跡が見られます。

館の東の虎口、大手門。

武田神社の境内となっている主郭。
主郭は一辺200メートルほどの正方形の曲輪になっています。
写真は神社拝殿前から西に向かって撮影しています。

武田神社拝殿。
武田信玄が祀られています。

主郭内部にある信玄公御使用井戸。

主郭と西曲輪を結ぶ土橋。

西曲輪。
西曲輪は主郭の半分ほどの広さです。
勝頼の時代に増築されたものといわれています。

西曲輪には洋風の藤村記念館が建っています。

西曲輪の南側の虎口。

西曲輪の北部から、堀越しに主郭の天守台を見たところです。
この天守台は平岩親吉の時代に造られたもので、高さは15メートルほどあります。

西曲輪の北に位置する北曲輪。
土塁の跡が残っています。
ここも勝頼の時代に増築されたものといわれています。

現在の甲府市街の北部に位置する城郭跡で、現在は武田信玄を祀る武田神社になっています。信虎、信玄の時代は主郭だけの小さな館でしたが、勝頼の時代に西曲輪、北曲輪など拡張工事が進められています。