二条城

  • 読み:にじょうじょう
  • 別名:二条城新館、二条新御所、二条亭
  • 所在地:京都府京都市中京区
  • 主要城主:徳川氏
  • 文化財指定:国指定史跡(昭和14年11月30日)、世界文化遺産(平成6年12月17日)、国宝(二の丸御殿)(昭和27年3月29日)
  • 訪問日:平成20年6月21日

関ヶ原の戦いで勝利を収め、天下を取った徳川家康が、慶長6年(1601)に西日本の諸大名に命じて築城させたのが始まりです。京都御所の守護と将軍上洛の際の宿泊所として現在の二の丸に造営されました。「朝廷の動向監視のために造られた」というのは俗説で、二条城の北にあった京都所司代がその役目を負っており、将軍不在の二条城には政庁としての機能はありませんでした。慶長19年(1614)、翌元和元年には、城内で大坂の陣の軍議を行い、ここから大坂城へ向けて出陣をしています。
寛永元年(1624)、第3代将軍徳川家光が城の拡張を命じ、寛永3年(1626)に現在の二条城とほぼ同じ規模となりました。この拡張工事では、現在の二の丸清流園にあった天守が伏見の淀城へ移築され、廃城となった伏見城の天守が新しく造られた本丸に移築されました。新天守移築完了後に旧天守移築が行われ、一瞬だけ二条城に天守が二つということが起こりました。新天守は、寛延3年(1750)8月に落雷の被害を受け、焼失。その後、天守が再建されることはありませんでした。
慶応2年(1866)第15代将軍徳川慶喜が城内で将軍職を継ぎますが、翌慶応3年10月、大政奉還を発表し、徳川の治世に幕を下ろしました。
大政奉還により二条城は朝廷のものとなり、明治17年(1884)7月に離宮となります。その後、昭和14年(1939)に京都市に下賜され、翌昭和15年に恩賜元離宮二条城として一般公開が始められました。
平成6年(1994)には、ユネスコの世界文化遺産に登録されています。

地下鉄東西線の二条城前駅出口から見る東南隅櫓。
本来は二条城の四隅にこのような櫓が建っていましたが、天明8年(1788)の大火で東北隅櫓、西北隅櫓は焼失してしまい、現在はこの東南隅櫓と西南隅櫓が残っています。

東南隅から西南隅に向かってみる外堀。
南門は、大正4年(1915)に増築されたものです。

東大手門。
大手門の入口は橋ではなく土橋構造になっています。
東大手門は現在、二条城の入場口になっています。

東大手門前から東南隅を見たところ。
白壁の塀が東南隅櫓まで延びています。

東大手門前から東北隅を見たところ。
こちらは白壁の塀が途中で終わっています。

二の丸内部から見た東大手門。
東大手門の左の建物は、二条在番と呼ばれる江戸から派遣された警護の武士の詰め所として使われた番所のひとつです。

伏見城から移築された唐門。
二の丸御殿への入口になっています。

二の丸御殿。
手前の車寄から遠侍、式台、大広間、蘇鉄の間、黒書院、白書院の6棟が、南東から北西にかけて並んでいます。
歩くと「きゅっきゅっ」と鳴る「うぐいす張りの廊下」でよく知られています。

二の丸御殿の縁の下をのぞいたところ。
床板を上から踏むと、かすがいと板がこすれあい音が鳴るようになっています。このようなうぐいす張りは、二条城のほか知恩院、養源院などに見られます。

※この写真はもらい物です。

二の丸御殿の南西に造られた二の丸庭園。
寛永3年(1626)に後水尾天皇の行幸御殿が池の南側に造られた際に改造されたといわれています。

二の丸庭園から見る二の丸御殿。
写っているのは慶応3年(1867)に徳川慶喜が大政奉還を発表した大広間の部分です。

本丸東橋と櫓門。

本丸東橋から南側の内堀を見たところ。

本丸東橋から北側の内堀を見たところ。

櫓門をくぐったところ。

上の写真を反対側から。
はっきりとした枡形構造になっています。

本丸御殿。
京都御所にあった旧桂宮御殿を明治26年~27年(1893年~94)に移築したものです。

天守台。
伏見城から移築した五重の天守がそびえていましたが、落雷で焼失しています。

天守台の上から南東側を見たところ。
桃山門と南中仕切門が見えます。

天守台の上から北西側を見たところ。
本丸西虎口とその奥に土蔵が見えます。

天守台の上から北東の本丸御殿を見たところ。

本丸西虎口の石垣。

本丸西虎口から見た天守台。
3つ上の写真の反対方向から撮ったものです。

二の丸の西側に目立たずに残る西門。
大政奉還後、徳川慶喜はこの門から大阪城へ向かって逃げたともいわれています。

内堀の北西端から見た本丸。

北側の内堀。

北中仕切門。

内堀の北東端から南側を見たところ。

北大手門。
普段は閉鎖されています。

徳川家康が御所の守護と将軍上洛の際の宿泊のために築城を命じた城です。家康と豊臣秀頼の会見、大坂の陣の軍議、大政奉還の発表と江戸時代の始まりと終わりを見守ってきた城で、修学旅行の定番コースになっています。平成6年(1994)12月には世界文化遺産に登録されています。
江戸城とよく似た雰囲気の箇所が多く見られます。