淀城

  • 読み:よどじょう
  • 別名:新淀城、てん城
  • 所在地:京都府京都市伏見区
  • 主要城主:久松松平氏、永井氏、石川氏、戸田松平氏、大給松平氏、稲葉氏
  • 文化財指定:-
  • 訪問日:平成20年6月21日

伏見城廃城後の京都守衛の昨日を引き継ぐ新城として、元和9年(1623)に松平定綱によって築かれた城です。伏見城の廃材と二条城の天守が転用されました。桂川、宇治川、木津川の三川が合流する中州を干拓して城下町が形成され、その周囲を三川が取り囲む水上の城でした。淀城はこの中州の西部に築かれましたが、城下町を取り囲む三川が堀の役目を負い、古代中国の都城のような風体をしていました。
寛永10年(1633)になると、国替えにより永井尚政が入城。その後、諸大名が次々と入城します。享保8年(1723)には春日局の子孫に当たる稲葉正知が下総佐倉から移り、以後明治維新まで稲葉氏の居城となりました。
なお、淀殿ゆかりの淀城はこの城ではなく、北500メートルほどの納所地区にあったと伝えられ淀古城と呼んで区別されています。

本丸に建つ淀城址の石碑。

京阪宇治線淀駅改札口付近から見る天守台。
天守台には当初、伏見城の天守が移築される予定でしたが、伏見城の天守は二条城へ移築されることになり、代わって二条城の旧天守が移築されました。しかし伏見城の天守に合わせて造られた天守台はサイズが大きく、四隅に二重櫓を建て、その間を多門櫓で連結して空白地を埋めた連立式天守となりました。

本丸内部から見る天守台。
本丸は淀城公園となり、ブランコなどの遊具が置かれています。

天守台上部。
天守台への立ち入りは禁じられているので、三脚に取り付けたカメラを石垣の下から高く掲げて撮影したものです。
天守には穴蔵と呼ばれる穴から出入りしていたと伝えられています。

本丸北西端の石垣。
石垣の上には櫓が建っていたものと思われます。

本丸北西端から見る堀。
堀は本丸の西、南、東を囲んでいましたが、東側は後世に埋められています。

桂川、宇治川、木津川が合流し、淀川となる水陸運の要衝・淀に築かれた城です。伏見城の後継となるべく築かれましたが、天守だけは二条城に持っていかれています。
現在、淀城の特異な連立式天守の復元計画が進められています。