真田氏本城

  • 読み:さなだしほんじょう
  • 別名:真田城、松尾城、松尾新城、住連寺城
  • 所在地:長野県上田市
  • 主要城主:真田氏
  • 文化財指定:上田市指定史跡(昭和47年4月1日)
  • 訪問日:平成18年3月11日、平成21年3月7日

天文年間(1532年~1555)に真田氏が築城したといわれていますが、鎌倉時代に横尾氏が築城したとも、前真田氏が現在の信綱寺にあった居館から居を移したともいわれています。
真田氏がこの城を本拠とし始めたのは、武田信玄の信州先方衆であった真田幸隆が天文二十(1551)に戸石城を攻略して小県周辺の所領をまかされた頃からと推定されています。
幸隆の死後は長男真田信綱が後を継ぎますが、天正3年(1575)の長篠の合戦で、武田側に参加していた信綱と次兄昌輝が戦死してしまいます。これにより、幸隆の三男武藤喜兵衛(真田昌幸)が家督を継ぐことになりました。
天正10年(1582)、武田氏が滅亡すると真田家は自立の道を歩み始め、翌天正11年には上田平に新たな居城・上田城の築城を開始します上田城は天正13年(1585)に完成し、これにともなって真田氏本城は廃城となりました。

南東麓の幸村の郷からの遠望。
下から見上げると、この城が山城であることが実感できます。

主郭土塁。
すぐ近くまで道路が開いているため、容易にたどり着けます。

主郭。
土塁によって背後の大地と遮られています。

二郭。
写真は二郭の末端から主郭に向かって撮影したところです。
各郭は段差によって区切られ、堀切は見当たりません。

三郭。
三郭の周囲は傾斜のきつい崖になっています。

三郭から望む松尾古城
手前に真田郷、奥に四阿山が見えます。

三郭から望む戸石城

主郭から望む打越城洗馬城曲尾城横尾城

主郭の背後50メートルほどの所に設けられた堀切。
天白城の続きの峰を断ち切っています。

真田昌幸が上田城を築城する以前に、居城としていたと推定されている山城です。真田郷のほぼ中央にある小高い山に、自然の地形を巧みに利用して造られています。平時は南西麓の真田氏館が居館として利用され、戦時にはこの城で指揮を執ったと推測されます。ここからは上田盆地、真田郷を見渡すことができ、小県と上州を結ぶ街道を押さえるには絶好の場所といえます。