高島城

  • 読み:たかしまじょう
  • 別名:諏訪の浮城、島崎城
  • 所在地:長野県諏訪市(Mapionで位置を確認)
  • 主要城主:日根野氏、諏訪氏
  • 文化財指定:諏訪市指定史跡(昭和54年2月15日)
  • 訪問日:平成21年2月11日

天正18年(1590)に豊臣秀吉配下の日根野高吉によって築かれたのが始まりです。諏訪湖にせり出す形で築かれた高島城は、諏訪湖の湖水と数条の河川が天然の堀の役割をし、あたかも諏訪湖に浮いているかのように見えたことから「諏訪の浮城」とも呼ばれました。

慶長6年(1601)には、武田信玄によって諏訪領主の座を追われ諏訪大社大祝を務めていた諏訪氏がこの地の領主に返り咲き、以後明治維新まで高島藩を治めました。諏訪氏は諏訪湖の干拓事業を進め、諏訪湖の水位は低下。1700年代にはすでに「諏訪の浮城」の面影はなくなっていたといわれています。

明治を迎えると高島城は廃城となり、城跡は高島公園として開放されました。現在の天守は昭和45年(1970)に復元されたものです。

東角櫓。

東隅櫓付近から見た冠木橋、冠木門、天守。
この付近だけを見ると、「諏訪の浮城」の名のとおりに見えます。

冠木橋と冠木門。

冠木門付近から本丸内部を見たところ。

本丸搦手にあたる土戸門。

川渡門。城が湖に面していた頃は、ここから舟で諏訪湖に出ることができました。
現在ここに建っているのは三の丸御殿裏門で、昭和63年(1988)に所有者から諏訪市に寄贈され移築されたものです。

本丸内に建つ諏訪護国神社。

本丸内部から見る三層三階の復元天守。
往時の天守は、湿地帯に建っていたことから重い瓦は使えず、杮葺きの屋根であったと伝えられています。復元天守の屋根は銅葺きになっています。

天守は天守台よりも若干小さめに造られていました。

天守台から本丸内部を見下ろしたところ。

天守台から東側を見たところ。
諏訪頼重最期の地・桑原城が見えます。

天守台から諏訪湖方面を見たところ。
かつては城の石垣を洗っていた諏訪湖も干拓事業により遠ざかってしまっています。

かつて「諏訪の浮城」と呼ばれ、中仙道の名城と歌われた城です。周辺は市街化が進み、本丸が公園として残されているだけになっています。
ちなみに高島城天守は、最も標高の高いところ(約800メートル)に造られた天守(模擬天守を除く)で もあります。