荒砥城

  • 読み:あらとじょう
  • 別名:新砥城、山田城、砥沢城
  • 所在地:長野県千曲市(Mapionで位置を確認)
  • 主要城主:山田氏、屋代氏
  • 文化財指定:千曲市指定史跡(昭和62年1月27日)
  • 訪問日:平成21年3月21日

荒砥城は、大永4年(1524)ごろに山田氏によって千曲川西岸の山の上に築かれたと伝えられています。山田氏は葛尾城の村上氏と同族で、天文20年(1551)には城主山田国政が、戸石城で真田幸隆の急襲に遭い戦死したといわれています。天文22年(1553)4月、村上義清が葛尾城を捨てて塩田城へ逃げ延び、越後の上杉謙信に支援を求めると、同年8月、村上氏と同族で北東の屋代城主であった屋代政国が、武田氏に内応して荒砥城に移っています。9月に起きた第一次川中島合戦では、上杉軍が荒砥城を攻撃し、これを占領しました。

天正10年(1582)に武田氏が滅亡すると、屋代秀正は上杉方に属し、海津城の副将を任されます。しかし、翌天正11年(1583)に徳川家康が秀正に更科郡安堵を密約。同年4月、秀正は海津城を出て荒砥城に立てこもりますが、上杉軍の攻撃を受けて落城。荒砥城は廃城となり、敗れた秀正は家康を頼ります。屋代氏はその後、徳川の重臣として存続しました。

葛尾城から見た荒砥城。
戸倉上山田温泉の裏山に築かれています。
平時は城野腰で過ごし、戦時になると荒砥城に立てこもるといった使い方がされました。

城山史跡公園の入口。
このあたりは四郭の入口に当たります。

四郭。
案内所の下にある曲輪です。

史跡公園入口から三郭へ向かって登っていくと、石積が現れます。
荒砥城の石積は大部分が綺麗に復元されたものですが、この石積は往時からのものと思われます。

三郭。
傾斜している上にさほど広くありません。

二郭の模擬城門。
綺麗に復元された荒砥城では、2007年のNHK大河ドラマ「風林火山」のロケが行われました。

二郭の虎口の枡形。
石積で復元されていますが、往時は土塁であったと思われます。

主郭から見た二郭。
模擬櫓と模擬兵舎が建っています。
模擬兵舎の中では、荒砥城の説明ビデオが上映されています。

模擬櫓から見た葛尾城。その向こうは上田方面です。

主郭の虎口の枡形。
二郭とまったく同じに復元されています。

主郭。
模擬城主館と模擬兵舎が建っています。
奥には出城である荒砥小城が見えます。

千曲川西岸・戸倉上山田温泉の裏山に築かれた山城です。2007年NHK大河ドラマ「風林火山」では、武田晴信が初陣で落とした佐久の海ノ口城に見立てて撮影が行われました。いささか綺麗に復元されすぎてはいますが、戦国の山城の雰囲気をつかむには絶好の城です。