小諸城

  • 読み:こもろじょう
  • 別名:酔月城、穴城
  • 所在地:長野県小諸市(Mapionで位置を確認)
  • 主要城主:武田氏、仙石氏、徳川氏、久松松平氏、青山氏、酒井氏、西尾氏、石川松平氏、大給松平氏、牧野氏
  • 文化財指定:国指定重要文化財(大手門・三の門)(平成5年12月9日)
  • 訪問日:平成21年4月26日

小諸城の起こりは、平安時代末期から鎌倉時代初期に小室太郎光兼(木曽義仲配下の武将)が現在の城址の東に館を築いたのが始まりと伝えられています。

その後、大井光忠が小室氏を抑えて鍋蓋城を築き、さらにその子の光為が現在の二の丸にあたる場所に出城として乙女坂城(白鶴城)を築きますが、これらの城は武田信玄によって落城しました。小諸の地を獲得した信玄は、山本勘助と馬場信房に命じ城を築かせたと伝えられていますが、史料的根拠はありません。

信玄は甥の信豊を城主に置きますが、天正10年(1582)に武田氏が滅亡すると、織田信長配下の滝川一益が入城。その後徳川家康配下の松平康国が城主となり、天正18年(1590)に豊臣秀吉配下の仙石秀久が5万石で入城。二の丸、黒門、大手門が築かれ、その子忠政の時代には三の門、足柄門が築かれ、小諸城は現在の規模となります。

元和8年(1622)、仙石忠政は上田へ転封となり、小諸は甲府城の徳川忠長の所領となります。その後は目まぐるしく城主が代わり、元禄15年(1702)、牧野氏が入城。小諸は明治まで10代にわたり牧野氏の所領となりました。

明治4年(1871)の廃藩置県に伴い小諸城は廃城。明治13年(1880)に懐古神社が祀られ、以後懐古園として現在に至っています。

富士見城から見る小諸城。
城下町よりも低い位置に築かれた城で、このタイプの城は「穴城」と呼ばれ、そのまま小諸城の別名にもなっています。

慶長17年(1612)に仙石秀久によって築かれた大手門。
本丸側から数えて4番目の門なので、四の門とも呼ばれています。
明治以降、民間の所有となり、料亭や小諸義塾の仮教室として利用されたこともありましたが、平成3年(1991)に小諸市へ寄付され、平成5年(1993年)に国の重要文化財に指定。平成16年~20年(2004~2008)に大修理を受け、享保5年(1720)ごろの姿に復元されました。

元和元年(1615)に仙石忠政によって築かれた三の門。
寛保2年(1742)の大洪水で流出しましたが、明和2年(1765)に再建されました。
門の両側には矢狭間、鉄砲狭間が設けられています。
現在は懐古園の入口として利用され、国の重要指定文化財に指定されています。

三の丸をくぐったところから見る二の丸の石垣。
昭和59年(1984)に復元されましたが、往時よりもサイズの大きい石が使われています。

二の丸の石垣の下に設けられた水櫓。
水車を使って城内へ水を汲み上げた施設の跡です。

二の門。
二の丸と南の丸をつなぐ渡櫓門が築かれていました。

二の門をくぐった所に設けられた番所。

二の丸の虎口。

二の丸。
第二次上田会戦では、この場所に築かれていた乙女坂城(白鶴城)に徳川秀忠が逗留していました。

番所から見る中仕切り門。
写真右側の石垣の中が北の丸、左側の石垣の上が南の丸です。

南の丸の虎口に置かれた鶯石。
城主の通行や祝い事の度にうぐいすの声で鳴いたと伝えられています。

南の丸。
かつては武器庫などが建てられていました。

北の丸。
隠居所として利用されていました。
現在は弓道場になっています。

黒門橋。
別名を算盤橋といい、緊急時には橋桁の取り外しができる太鼓橋が設けられていました。

黒門橋の下の空堀・紅葉谷。
本丸は東を紅葉谷、南を南谷、西を西谷、北を地獄谷といった堀切によって囲まれています。

黒門。
本丸側から数えて最初の門なので、一の門とも呼ばれています。

黒門の前に設けられたお駕籠台。

本丸の虎口。

本丸。
現在は懐古神社が建てられています。

懐古神社拝殿の横に置かれた鏡石。
山本勘助愛用と伝えられています。
隕石ではないかともいわれています。

本丸と馬場を結ぶ虎口。

馬場。
往復するだけの鉄砲馬場と伝えられています。
桜の名所として知られ、春には花見客で賑わいます。

馬場から見る天守台。
三重天守が建っていましたが、寛永3年(1626)に落雷により焼失しました。

本丸の北に位置する荒神郭を天守台から見下ろしたところ。

荒神郭に設けられた荒神井戸。
城内唯一の井戸です。

小諸義塾で教鞭をとった島崎藤村が「千曲川旅情のうた」で「小諸なる古城のほとり・・・」と詠んだことにちなみ、荒神郭内には藤村記念館が建てられています。
写真は記念館前の島崎藤村像。

文化14年(1817)に牧野康長によって建てられた武器庫。
東京に移築されていたものを元に復元されました。

島崎藤村の代表作「千曲川旅情のうた」の詩碑。
詩面は藤村の自筆です。

本丸の北の断崖・地獄谷。
ほとんど天然の断崖で、よじ登ることはほぼ不可能です。

水の手。

水の手に設けられた不開の門。

水の手からの眺め。

城の西側の西谷。
谷と呼ばれてはいますが、おそらくは人の手によって掘られたものです。

本丸の南の断崖・南谷。

本丸の南谷を挟んだ反対側の籾蔵台には、大正15年(1926)に建てられた動物園があります。

動物園から三の門への通路。
このあたりの石垣には浅間山の噴石が使われています。

千曲川北岸に築かれた小諸城は、城下町よりも低い位置に築かれていることが大きな特徴で、「穴城」とも呼ばれています。城域のほとんどが浅間山の火山灰でできているため、水は用いられず、崩れやすい断崖によって守られています。
現在は懐古園となり、桜の名所として知られています。