富士見城

  • 読み:ふじみじょう
  • 別名:大室城
  • 所在地:長野県小諸市(Mapionで位置を確認)
  • 主要城主:武田氏、柴田氏
  • 文化財指定:-
  • 訪問日:平成21年4月26日

富士見城の始まりはよくわかっていませんが、天文年間(1532~54)に武田信玄が小諸周辺に進出した際に、鍋蓋城(小諸城の前身)の支城として飯綱山に築いたのが始まりで、この頃にある程度の石垣が整備されたのではないかと考えられています。

天正10年(1582)に武田氏が滅亡すると、小諸周辺は真田氏と徳川氏の争いの前線となり、富士見城には徳川家康配下の柴田康忠が在陣したと伝えられています。

その後、富士見城は歴史から姿を消し、現在は小諸市飯綱山公園として整備されています。

枡形城付近から見た富士見城(中央の山)。

城域の東限にあたる五郭。
小諸市立高原美術館のすぐ裏手になります。

五郭内に設けられた旗塚。

五郭と四郭の間の石積。
ここに堀切が設けられていましたが、現在では大分埋まってしまっています。

四郭の東西には土塁が設けられています。
これは西側の土塁。

四郭と主郭を隔てる堀。
左が四郭、右が主郭です。
深さ5メートルほどで、城内最大のものです。

主郭櫓台。

櫓台から見る主郭。

城の南面を見ると、いくつもの石積が築かれているのがわかります。

主郭と二郭の間の浅い堀切。

二郭。

三郭。
二郭と三郭の間は石積によって仕切られています。

三郭の西側には腰郭が続いています。

高峰山南面の飯綱山の頂上に築かれた東西に細長い城です。天気がよければ富士山を遠望できることから「富士見城」の名がついています。飯綱山南面は比高150メートルほどの急傾斜となっていますが、北面は比高30メートルほどで、北側に根小屋があったものと思われます。