熊本城

  • 読み:くまもとじょう
  • 別名:銀杏城
  • 所在地:熊本県熊本市(Mapionで位置を確認)
  • 主要城主:出田氏、鹿子木氏、佐々氏、加藤氏、細川氏
  • 文化財指定:国指定有形文化財(昭和8年1月23日)
  • 訪問日:1996年10月

熊本城の始まりは、文明年間(1469~86)に熊本周辺を支配していた出田秀信が千葉城を築いたのが始まりです。その後1520年ごろに菊池氏配下の鹿子木親員が、現在の熊本城にあたる場所に隈本城を築城しました。

天正15年(1587)、急襲を支配していた島津氏が豊臣秀吉に下ると、熊本城には佐々成政が入城します。しかし、肥後の国人衆は成政の支配を良しとせず、領内は乱れることとなり、成政はその責任を取り自害してしまいます。

成政後の肥後には加藤清正と小西行長が入り、肥後を二分して支配しますが、慶長5年(1600)年の関ヶ原の戦いで西軍に属した小西行長を加藤清正が討ち取ったことで清正は肥後一国の主となります。翌慶長6年(1601年)、清正は新たな城「熊本城」の建設に着手。城は旧千葉城、旧隈本城をベースに築かれ、慶長12年(1607)年に完成します。しかし、寛永9年(1632年)、清正の子・忠広は謀反の疑いをかけられ、出羽庄内の酒井忠勝のもとに身柄を預けられ、熊本城には細川忠利が54万石で入城。その後明治まで細川氏の支配が続きました。

明治になると熊本城には熊本鎮台が置かれ、明治10年(1877)年の西南戦争では西郷隆盛率いる薩摩軍をこの城で防いでいます。

不開門付近から見る熊本城天守。
西南戦争の際、原因不明の出火により天守は焼け落ちてしまいましたが、昭和35年(1960)に鉄筋コンクリートで外観復元されました。

肥後一国の領主となった加藤清正が築いた城で、大坂城名古屋城とともに三大名城に数えられています。熊本城は築城から270年後の西南戦争でその堅牢さを発揮し、薩摩軍1万3千の攻撃に50日余り堪え、薩摩軍を撤退させています。なかなか落ちない熊本城に西郷隆盛は、「加藤清正を相手に戦争しているようなものだ」と言ったと伝えられています。