平戸城

  • 読み:ひらどじょう
  • 別名:亀岡城
  • 所在地:長崎県平戸市(Mapionで位置を確認)
  • 主要城主:松浦氏
  • 文化財指定:-
  • 訪問日:1996年10月

戦国時代末期、鎮西の水軍・松浦党は上下松浦に分かれ、平戸周辺に勢力を振るっていました。豊臣秀吉の九州征伐に従ったことで、下松浦棟梁・松浦鎮信は松浦郡の一部と壱岐を安堵され、慶長4年(1599)に亀岡山に日之嶽城を築き、居城としたのが平戸城の始まりとされています。

しかし鎮信の跡を継いだ久信が急死すると、徳川氏は豊臣氏と親交の深い松浦氏に疑いの目を向けます。鎮信は疑いを晴らすため、慶長12年(1607)に日之嶽城を焼き払い、城域北側の山中の居を映します。

その後約90年間にわたり、松浦氏に城がない状態が続きましたが、元禄15年(1702)年、松浦天祥鎮信は幕府に新たな城の築城を申請、翌年許可されます。新城建築は元禄17年(1704)年に松浦棟によって始められ、享保3年(1718)に完成しました。

以後、平戸城は平戸藩松浦氏の居城として存続。明治になると廃藩置県を迎え廃城となり、現在は亀岡神社や亀岡公園となっています。

平戸市街地からの平戸城遠望。
往時の平戸城には天守は存在せず、三重の乾櫓がその代用でした。
三重五階の模擬天守は昭和37年(1962)、元々二重櫓が建っていたところに築かれたものです。

対岸の九州を望む平戸瀬戸に突き出した丘陵・亀岡山の頂に築かれた平戸藩松浦氏の居城です。三方を海によって囲まれ、山鹿流軍学に基づく縄張りがなされています。現在の形の平戸城が築かれたのは江戸時代中期のことで、この時代に新城築城の許可が下りるのは異例のことでした。現在、城域は亀岡神社・亀岡公園となっています。