有賀城

  • 読み:あるがじょう
  • 別名:天狗山城
  • 所在地:長野県諏訪市(Mapionで位置を確認)
  • 主要城主:有賀氏、原氏、千野氏
  • 文化財指定:-
  • 訪問日:2009年5月9日

有賀城は、諏訪と伊那谷を結ぶ交通の要衝である有賀峠の登り口に築かれた城です。その築城年代ははっきりとしていませんが、諏訪氏の氏族の有賀氏が承久年代(1219~1222)にこの地に入り、その後築かれたものと考えられています。

戦国時代、有賀氏は諏訪氏に属し、天文17年(1548)に諏訪氏が滅亡した後も武田氏と争いますが敗退し、この地を追放されました。有賀城には武田氏配下の原美濃守虎胤が入城。その後千野靭負尉へと引き継がれました。慶長6年(1601)、関が原の戦いの功により諏訪頼水が旧領諏訪を回復し高島城に入城すると、その重臣であった千野丹波守房清が有賀城に入城し、麓に居館を築いています。

江音寺の墓地から登っていく登城口。
模擬冠木門が設けられています。

模擬冠木門から10分ほど登っていくと、主格背後の大堀切が姿を現します。
右が主郭側。

主郭。
奥に二段の石垣が設けられていますが、土塁上に秋葉権現の碑があり、その祭祀の必要上設けらた可能性もあり、城の遺構と即断することは難しいとのことです。

主郭からの諏訪湖の眺め。

主郭北端から二郭を見下ろしたところ。
写真ではわかりづらいですが、二郭背後には巨大な土塁と堀切が設けられています。

上の写真を横から見たところ。
奥の土塁の向こうに二郭があります。

二郭北端から南側を見たところ。
土塁の向こうに堀切がありさらにその奥に主郭の切岸が見えます。

三郭北端から南側を見たところ。
奥の切岸の上は二郭です。

四郭北端から。南側を見たところ。
奥の切岸の上は三郭です。
切岸の中ほどには小さな段が設けられています。

五郭北端から南側を見たところ。
奥の切岸の上は四郭です。
有賀城は主郭から五郭までが、ほぼ直線状に並んでいます。

二郭から五郭の西側には道のようなものが設けられていますが、この下には有賀峠への街道もあることから、街道を意識した堀切とも考えられます。

城の麓・江音寺の墓地の下にある丹波屋敷。
慶長6年(1601)にこの地に入った千野丹波守房清の屋敷跡です。

諏訪と伊那を結ぶ交通の要衝・有賀峠の登り口の山に設けられた城です。曲輪、土塁、堀切ともよく残されています。