上原城

  • 読み:うえはらじょう
  • 別名:-
  • 所在地:長野県茅野市(Mapionで位置を確認)
  • 主要城主:諏訪氏
  • 文化財指定:長野県指定史跡(昭和46年5月27日)
  • 訪問日:2009年5月9日

諏訪氏はタケミナカタの末裔を称し、代々諏訪大社の大祝として信仰を集めていました。大祝が諏訪から出ることは禁忌とされていたため、幼少時に大祝として祭祀を行い、長じると大祝を辞し、惣領として政治を行うといったことを続けてきました。しかし室町時代になり戦乱が増えてくると、諏訪信満の系統が惣領家を、諏訪頼満の系統が大祝を分担することとなり、両家は諏訪大社上社前宮の神殿(ごうどの)に居住します。しかし康正2年(1456)に両家は対立。惣領家は神殿を出て上原の地に居を構えます。上原城はこのころに築城されたと考えられています。

文明15年(1483)、大祝家当主継満が、惣領職も独占しようと惣領家当主政満とその子・若宮丸らを謀殺。諏訪大社社家衆の反発を招き、継満は高遠へ追放されます。これにより、惣領政満の次男・頼満が惣領と大祝を相続することとなりました。

諏訪氏はその後、頼隆、頼重と続きますが、天文11年(1542)6月、甲斐の武田晴信(信玄)の攻撃を受けると、頼重は上原城を捨て桑原城に篭ります。同年7月、武田側からの和睦の申し入れにより、頼重は桑原城を開城。甲府の東光寺に幽閉され、7月21日に切腹。諏訪惣領家は滅亡します。

以後、上原城とその館は、武田氏の信濃攻略の拠点の一つとなり、天正10年(1582)の武田氏の滅亡まで続きました。

主郭背後の入口。
奥に見える山ははなれ山です。

主郭背後の大堀切。
右がはなれ山、左が主郭です。

上の写真の180度反対側を見たところ。
大堀切は竪堀となり下へ伸びています。

二郭。
奥には物見岩と呼ばれる巨大な岩があります。

物見岩。
滑りやすい岩なので実際に物見に使われたとは思えません。
右下の金毘羅神社社殿の屋根と比較するとその巨大さがよくわかります。

三郭。
現在は金毘羅神社が建っています。
諏訪地方の神社の例に漏れず、御柱が立てられています。

三郭の隅に再現された水の手。

三郭から見た茅野市街。

主郭。
背後のみ土塁が設けられています。

居館部

山麓に設けられた居館跡。
城が武田氏の手に落ちてから板垣信方の居館が置かれたことから「板垣平」と呼ばれています。

現在はほとんど農地化しています。

遺構か不明ですが石積が見られます。

諏訪惣領家の本拠だった城です。平時は麓の居館に住み、戦時には背後の城に立て篭もるという使い方が想定されていたようですが、武田氏に攻められた際にはあっさりとこの城を捨て、北西の桑原城で篭城しています。