飯山城

  • 読み:いいやまじょう
  • 別名:-
  • 所在地:長野県飯山市(Mapionで位置を確認)
  • 主要城主:泉氏、高梨氏、上杉氏、関氏、皆川氏、堀氏、佐久間氏、松平氏、永井氏、青山氏、本多氏
  • 文化財指定:長野県指定史跡(昭和40年7月29日)
  • 訪問日:2009年6月20日

飯山城の築城年代はよくわかっていませんが、鴨ヶ嶽城の高梨氏配下で常盤牧を務めていた泉氏の居城であったといわれています。

高梨政頼は、北信侵攻を進める武田信玄と対立していましたが、弘治3年(1558)に武田軍の攻撃によって葛山城が落城。さらに配下の山田氏、木嶋氏が相次いで武田方に降伏。中野の地に武田軍が近づいてくると、高梨政頼は泉氏の飯山城へ篭城、越後の長尾景虎(のちの上杉謙信)へ援軍を要請します。この要請に応じ、長尾景虎は飯山に長尾政景を派遣。景虎自身も飯山へ出陣し、第三次川中島合戦が起こっています。合戦後、高梨政頼は本拠を飯山城へ移し、高梨氏は長尾氏の配下となります。

永禄7年(1564)、武田信玄が飛騨に出兵すると、これを阻止するために上杉謙信が出陣。謙信は善光寺平に布陣、信玄は塩崎城に入り対峙します(第五次川中島合戦)。この際、謙信は飯山城を大々的に改修しています。

天正6年(1578)に上杉謙信が急逝すると、景勝と景虎の二人の養子による跡目争いが勃発(御館の乱)。飯山城は景勝方に属します。その後、景勝方と武田勝頼の間で和睦が結ばれ、飯山城は武田氏に割譲されますが、天正10年(1582)に武田氏が滅亡すると、信濃は織田氏の支配となり、飯山城には森長可が入ります。しかし同年、本能寺の変により織田信長が自刃。森氏が信濃から撤退し、飯山城は再び上杉氏のものとなります。

慶長3年(1598)、上杉氏が会津へ転封となると、飯山城主は関氏、皆川氏、堀氏、佐久間氏、松平氏、永井氏、青山氏と目まぐるしく変遷。享保2年(1717)には本多氏が入り、そのまま幕末まで城主を務めました。

飯山市民会館付近、本丸南西の虎口。

上の写真の虎口を入ったところ。
本丸の西側下です。

本丸。
葵神社が建てられています。
奥には本丸枡形の石垣が見えます。

本丸の南側に設けられた小さな曲輪。

飯山城の南側は急峻な崖になっています。

本丸内部から見た本丸枡形。
一見、櫓台のようにも見えます。

上から見た本丸枡形。
ここを通るものはUターンするように造られています。

二の丸から見た本丸枡形。

本丸の北側に設けられた二の丸。

二の丸から本丸を見上げたところ。
本丸には石垣がふんだんに使われています。

飯山城の東を流れる千曲川を二の丸から見たところ。
往時は千曲川の水を引き込んだ水堀が設けられていました。

二の丸の北側に設けられた三の丸。
現在は花壇になっています。

千曲川西岸の高台の上に築かれた城です。上杉・武田の最前線に位置し、上杉氏の信濃侵攻の拠点として利用されました。
現在は中枢部が城山公園となっています。