壁田城

  • 読み:へきたじょう
  • 別名:-
  • 所在地:長野県中野市(Mapionで位置を確認)
  • 主要城主:高梨氏、小幡氏
  • 文化財指定:-
  • 訪問日:平成21年6月20日

枡形城は、千曲川東岸の比高180mほどの山の上に築かれた城です。古くは「日置田」と書き、蝦夷経略期の狼煙台があったともいわれています。

戦国時代には高梨氏の山城となっていましたが、弘治年間(1555~1557)頃には、千曲川対岸の替佐城とともに、武田信玄の飯山方面攻略の拠点となり、小幡上総介に預けられたと伝えられています。

その後は、上杉氏に備える最前線の城の一つとして、武田氏滅亡まで機能していたと考えられます。

千曲川対岸から見た壁田城。

壁田城最北部に造られた駐車場。
写真奥に向かって、曲輪と堀切がいくつも連続しています。

駐車場から千曲川を見下ろしたところ。

駐車場から主郭へ向かうと現れる堀切。
往時は木橋がかかっていたものと思われますが、現在は土橋状の遊歩道がつけられています。

主郭の北に設けられた曲輪。
ブランコが設置されていますが、周辺は薮化しています。
奥の切岸の上が、長丘神社の建つ主郭になっています。

主郭に設けられた長丘神社。

主郭の南に設けられた堀切。

さらに南に向かって曲輪と堀切が連続していますが、ほとんど薮化しています。

千曲川東岸の山の上に築かれた南北に細長い城です。武田氏の飯山方面進出の拠点となっていましたが、武田氏滅亡とともに廃城。現在は長丘神社が建てられています。