鶉古城

  • 読み:うずらこじょう
  • 別名:鶉小城
  • 所在地:群馬県邑楽郡邑楽町(Mapionで位置を確認)
  • 主要城主:荒間氏、多々良氏、小曽根氏
  • 文化財指定:邑楽町指定史跡(昭和63年11月25日)
  • 訪問日:平成21年7月11日

鶉古城は、多々良沼に突き出した「荒間崎」とよばれる岬に築かれた城で、南北朝時代時代初頭に荒間朝春らによって築かれたといわれています。

城は応永年間(1394~1428)には多々良忠致のものとなり、天正12年(1584)には館林城主の重臣小曽根政義が、北条氏に備えるためにこの城に入っています。

城が北条氏の手に落ちてからの歴史はよくわかっていませんが、天正18年(1590)の小田原攻めの際、館林城の落城とともに鶉古城も廃城になったと考えられています。

城の西端に設けられた土塁と空堀。
空堀は往時はもっと深かったと思われますが、現在ではほとんど埋まってしまっています。

西の虎口。
土塁の高さは2mほどです。

城の西端にある古墳。
土塁として使用されていた可能性もあると思われます。

城内。
現在は多々良沼公園となり、往時の面影はみられません。

城の北側に見られる堀のような地形。

荒間崎の先端に浮かぶ弁才天。往時も何らかの施設があったと思われます。

弁才天から荒間崎を見たところ。
北、東、南を多々良沼に囲まれた天然の要害であることがわかります。

多々良沼西岸の荒間崎と呼ばれる岬に築かれた城です。現在では西端の土塁と空堀以外に遺構らしいものは残っていません。
湖沼に突き出した水城は群馬県南東部では意外と少なく、鶉古城と館林城の2つのみです。