替佐城

  • 読み:かえさじょう
  • 別名:-
  • 所在地:長野県中野市(Mapionで位置を確認)
  • 主要城主:小幡氏
  • 文化財指定:昭和57年11月1日
  • 訪問日:平成21年6月20日

替佐城は永禄7年(1564)頃に築かれたと推定されています。千曲川対岸の壁田城とともに、武田信玄の飯山方面攻略の拠点として、小幡上総介に預けられたと伝えられています。また、北西の野尻湖方面への備えの役目も負っていました。

その後は、上杉氏に備える最前線の城の一つとして、武田氏滅亡まで機能していたと考えられます。

主郭南麓の駐車場から見上げた替佐城。

主郭。
あずまやが建てられています。

主郭の南側に矢竹が植えられいます。

主郭から南東方向の二郭を見たところ。
二郭と主郭の間には堀切が設けられています。

主郭と二郭を隔てる堀切。
左が主郭、右が二郭です。

二郭の様子。

二郭の南に設けられた三郭。

三郭から見た千曲川。

千曲川西岸の比高90mほどの山の上に築かれた城です。武田氏の飯山方面進出の拠点となっていましたが、武田氏滅亡とともに廃城となっています。
このほかにも竪堀などの遺構があるのですが、薮に埋もれてしまっています。