桜城

  • 読み:さくらじょう
  • 別名:-
  • 所在地:長野県諏訪郡下諏訪町(Mapionで位置を確認)
  • 主要城主:金刺氏、武田氏
  • 文化財指定:-
  • 訪問日:平成21年11月28日

諏訪大社下社秋宮の背後の山に築かれた城です。築城時期はわかっていませんが、代々下社の大祝(おおはふり)を務めた金刺氏が霞ヶ城を築いた後に、詰の城として築いたと考えられています。

金刺氏は南北朝時代から上社の諏訪氏と対立。永正15年(1518)、諏訪頼満は金刺昌春を攻め、昌春は甲斐の武田信虎に援護を要請。武田氏は金刺氏を笹尾塁に立てこもらせ諏訪氏と戦わせますが、諏訪氏の進行により笹尾塁は放棄。これにより金刺氏は没落しました。

武田氏が諏訪氏を滅ぼすと、桜城は下諏訪方面防衛のために整備され、武田氏滅亡とともに廃城となったと考えられています。

南麓から見た桜城。
主郭の右(東)に、堀切が設けられているのがわかります。

主郭。
地元有志によって花壇が整備されています。

主郭に設けられた展望台から見た下諏訪の町並みと諏訪湖。
写真中央下のこんもりとした森が、下社秋宮と霞ヶ城跡です。

主郭から南面を見下ろしたところ。
段々に曲輪のようなものが設けられていますが、城の遺構なのか耕作地なのかはっきりしません。

主郭の東に設けられた堀切。
南麓からもはっきりと見えます。

さらに東に設けられた堀切。

さらに東に設けられた堀切。
主郭東側は三重の堀切によって守られています。

主郭の西には、このような曲輪が何段か設けられています。

主郭西面の秋葉社などが建てられている曲輪。
塩ビ管で造られた鳥居の湯泉神社がユニークです。
ここには金刺盛澄ゆかりの一念石があります。

一念石。
流鏑馬に臨む金刺盛澄が度々この場所を訪れ、座禅を組み精神統一をしていたことから一念石と呼ばれています。

西麓から主郭への道は一念坂と呼ばれています。
おそらくはこちら側が大手だったと思われます。

諏訪大社下社秋宮の裏山に築かれた城です。平時は麓の霞ヶ城で政務を行い、戦時に桜城に籠もるということを想定して造られたと思われますが、実戦ではほとんど使われなかったものと考えられます。