富山城

  • 読み:とやまじょう
  • 別名:安住城、浮城
  • 所在地:富山県富山市(Mapionで位置を確認)
  • 主要城主:神保氏、佐々氏、前田氏
  • 文化財指定:-
  • 訪問日:平成21年7月25日

神通川南岸の低地に築かれた城で、越中守護代神保長職が天文12年(1543)ごろに、安住郷に築いたのが始まりといわれています。神保氏が上杉謙信に敗れると、越中には織田信長配下の佐々成政が入り、富山城の大改修が行われました。信長の死後、成政は豊臣秀吉と対立。天正13年(1585)、秀吉の越中攻めが行われ、成政は降伏し、富山城は破却されます。

その後、越中が前田氏の領地になると、前田利長が隠居城として富山城を改修し移り住みますが、慶長14年(1609)に全焼。利長は高岡城を築いて移り、富山城には城代が置かれました。寛永16年(1639)、前田利常は次男・利次に10万石を与えて富山藩を興させ、利次は富山城に入ります。この頃の富山城は加賀藩の飛び地でしたが、のちに領地を交換し、万治4年(1661)に幕府の許可を得て大改修を行います。以後、富山城は前田氏の居城として明治まで続き、明治4年(1871)、廃藩置県により廃城となりました。

二の丸から見た模擬天守。
昭和29年(1954)に鉄筋コンクリートで築かれ、富山市郷土博物館になっています。
本来は本丸の南の虎口である鉄御門です。

模擬天守前の土橋から西側を見たところ。

模擬天守前から見た富山市街。

本丸虎口。
枡形構造になっています。

東出丸に隣接して建てられていた千歳御門。
明治時代に農家へ移築されていましたが、平成19年(2007)に本丸東側に移築されました。

本丸東側の佐藤美術館。
昭和36年(1961)に建てられました。

本丸内に立つ富山藩2台藩主前田正甫の像。
藩政の確立に努め、越中売薬の基礎を作りました。

神通川南岸の低地に築かれた城です。神通川の水を引き込んでいたことから浮城とも呼ばれていました。現在、富山城の整備が行われ、堀の復元などがなされています。