女渕城

  • 読み:おなぶちじょう
  • 別名:-
  • 所在地:群馬県前橋市(Mapionで位置を確認)
  • 主要城主:新井氏
  • 文化財指定:前橋市指定史跡(昭和49年5月1日)
  • 訪問日:平成21年12月23日

女渕城は赤城山南麓に築かれた城ですが、その築城年代ははっきりしていません。関東管領山内上杉氏の時代には、配下の豪族が居城していたと考えられています。

天文21年(1552)に北条氏康の攻撃を受けた関東管領上杉憲政が越後の長尾景虎の元へ逃げ延びて以降は、周辺の赤城山南麓の城と同様に、北条氏、武田氏、長尾氏(のちに関東管領職を引き継ぎ上杉氏)の三勢力による争奪が繰り返されたと考えられます。永禄2年(1559)には上杉謙信が女渕城を攻め落とし、配下の長尾顕長に城が与えられ、顕長配下の新井氏が居城しました。

天正6年(1578)に謙信が急死すると、越後上杉氏の勢力は急激に衰退し、替わって武田氏がこの辺りを支配しますが、天正10年(1582)に武田氏が滅亡すると北条氏の勢力下に入ります。天正18年(1590)に豊臣秀吉の小田原征伐により北条氏が滅亡すると、女渕城も廃城になったと考えられています。

主郭および二郭西の水濠。
女渕城はもともと沼沢地に築かれた城であったと考えられています。

上の写真の180度反対側を見たところ。
現在は芝生公園になっていますが、往時はここも水濠でした。

二郭の南に設けられた曲輪。
現在は御霊神社が建っています。

御霊神社の背後に残る土塁。

二郭。
ほとんどが駐車場になっています。

二郭の北部にはわずかに土塁が残っています。

主郭。
東西40m、南北30mほどで、ほとんどが農地になっています。

主郭北側の水濠。
右側は北曲輪ですが、宅地化しています。

主郭と二郭を西から見たところ。
左が主郭、右が二郭で、往時は土橋でつながれていました。

二郭から西曲輪を見たところ。
西曲輪も大部分が宅地化しています。

西曲輪南側の水濠。
横矢がかけられています。

赤城山南麓の沼沢地に築かれた城で、この辺りでは珍しい水濠です。コンクリートブロックで覆われているものの、濠の形はよく残っています。