諏訪大社上社前宮神殿

  • 読み:すわたいしゃかみしゃまえみやごうどの
  • 別名:-
  • 所在地:長野県茅野市(Mapionで位置を確認)
  • 主要城主:諏訪氏
  • 文化財指定:長野県指定史跡(昭和39年8月20日)
  • 訪問日:平成21年5月9日、平成22年1月16日

諏訪氏はタケミナカタの末裔を称し、代々諏訪大社上社の大祝(おおはふり)として信仰を集めていました。現在の上社前宮は、平安時代初期に諏訪有員が初めて大祝の職位について以来、上社大祝の居館となっていました。「神殿(ごうどの)」は、神体と同視された大祝常住の殿舎の尊称で、大祝職位式、大御立座神事など上社の重要な神事のほとんどが神殿で行われました。

大祝が諏訪から出ることは禁忌とされ、諏訪氏当主は幼少時に大祝として祭祀を行い、長じると大祝を辞し、惣領として政治を行うといったことを続けてきました。しかし室町時代になり戦乱が増えてくると、諏訪信満の系統が惣領家を、諏訪頼満の系統が大祝を分担することとなり、両家は神殿に居住します。しかし康正2年(1456)に両家は対立。惣領家は神殿を出て上原城へ移ります。文明15年(1483)、大祝家当主継満が、惣領職も独占しようと惣領家当主政満とその子・若宮丸らを謀殺。聖地が穢されたことで社家衆の反発を招き、継満は高遠へ追放されます。のちに神殿は清地にかえされ、大祝の居館として後世まで続きました。

天正年間に織田信長の侵攻を受け、大祝の居館は宮田渡に移されましたが、祭儀は引き続き神殿において行われました。

国道152号から見た諏訪大社上社前宮。

国道に面した鳥居の脇の溝上社。
祭神は高志奴奈河比売命で、御射山へ出発する際に参詣されたといわれています。
背後のみそぎ池が水濠の役割を兼ねていたとも考えられます。

御手祓道。
御酉祭など重要な神事に使われた道です。

神願門。
神殿の正面入口に当たり、現在の御水舎の辺りで南に向かって開いていたといわれています。
室町時代にはここより南に郡内豪族が居を構えていたと考えられています。

居館の内庭に位置していたと推定される弓立石。

十間廊。
古くは神原廊と呼ばれ、諏訪の祭政の行われた政庁の場でした。

前宮社務所の脇にあるこの場所に、居館があったと考えられています。

境内に残された土塁。
諏訪では「くね(土偏に郭)」と呼ばれています。

上社前宮から見た詰の城・干沢城

拝殿。
現在の拝殿は昭和7年(1932)に伊勢神宮から下賜された材で造営されています。

本殿背後の守屋山方面。
タケミナカタとその后神ヤサカトメの墳墓である山の神古墳があり、何人たりとも立ち入ることは禁じられ、禁を侵した場合は神罰が下るといわれています。

諏訪大社上社前宮に設けられた大祝の居館です。諏訪氏は祭政一致であり、祭祀の場であると同時に政治の場でもありました。現在でも上社の重要な神事は前宮で行われています。