塩田城

  • 読み:しおだじょう
  • 別名:-
  • 所在地:長野県上田市(Mapionで位置を確認)
  • 主要城主:塩田北条氏、村上氏、飯富氏、真田氏
  • 文化財指定:長野県指定史跡(昭和45年4月12日)
  • 訪問日:平成22年3月22日

塩田城は、塩田平の南にそびえる独鈷山山麓弘法山の谷間に築かれた城で、北条時宗の連署であった北条義政が、建治3年(1277)頃に隠居の地として居を構えたのが始まりとされています。塩田北条氏は義政の子・国時、その子・俊時と3代にわたり塩田を統治しますが、元弘3年(1333)、各地の武将が鎌倉幕府打倒の兵を挙げると、塩田北条氏は幕府軍の一員として戦い、国時・俊時親子は鎌倉にて自刃。塩田北条氏は滅亡します。

塩田北条氏滅亡後の塩田平は、北信濃の有力豪族である村上氏の支配するところとなり、村上氏配下の福沢氏が塩田城に入ります。しかし、天文22年(1553)、甲斐の武田信玄に攻められ塩田城は落城。武田氏配下の飯富(おぶ)氏が塩田城に入り、塩田城は武田氏の東信濃・北信濃攻略の拠点となります。

天正10年(1582)、武田氏が滅亡すると、塩田城は武田氏配下の真田氏の城となりますが、真田昌幸が上田城を築くと、塩田城の存在意義は薄れ廃城となりました。

塩田城遠景。
中央の谷間に塩田城が、二つの山の頂上に砦が築かれていました。
手前のかやぶきの建物は前山寺本堂です。

独鈷山麓の前山寺の三重塔。
前山寺は塩田城の鬼門に位置し、その祈祷寺として武将の信仰を集めました。

前山寺脇から塩田城へ至る道の入口。

前山寺脇から1分ほど歩くと現れる神戸川。
塩田城の東で天然の堀となっています。

塩田城の北面に設けられた堀切の跡。

塩田城主要部へと登る道の入口に立つ塩田城跡の碑。

石碑のある場所から2~3分ほど歩くと、昭和50年(1975)~52年(1977)に発掘調査が行われた場所に着きます。
この場所は下から14段目の段郭で、建物の礎石のほか、陶器、磁器、銅銭、石臼、石塔などが見つかっています。

場内の一角に鎮座する三島社。伊豆出身の北条氏との関わりが考えられます。

城の最上部入口である虎の口。
石積みで曲輪を二つに分けています。

虎の口の北側。

虎の口の石積み。

虎の口を二つに分ける石積みを南側から見たところ。

虎の口の南側には井戸の跡があります。

虎の口の上にある主郭に相当する曲輪。
北条国時の墓が設けられています。

北条国時の墓。

塩田平の南にそびえる独鈷山山麓の弘法山に築かれた城です。二つの山の頂上に砦を築き、その間の谷に城が築かれました。現在はほとんどが木々に覆われていますが、随所に設けられた削平地は今も見ることができます。