鷹留城

  • 読み:たかとめじょう
  • 別名:亀城
  • 所在地:群馬県高崎市(Mapionで位置を確認)
  • 主要城主:長野氏
  • 文化財指定:高崎市指定史跡(昭和57年4月1日)
  • 訪問日:平成22年4月24日

鷹留城は、明応年間(1492~1500)に長野業尚によって下室田背後の山に築かれた城です。1500年代前半に箕輪城を築く前の長野氏の居城と伝えられています。永禄9年(1566)、長野業通の守る鷹留城は、武田信玄の攻撃を受け落城。業通は吾妻の長野原へ逃げ延びたと伝えられています。

南側からの鷹留城遠景。

大手口。
大手口の両脇には石積みの痕跡のようなものが見えます。

大手口から城の南面を登っていくと、竪堀が見られます。
写真は二郭と三郭の間に向かって伸びる竪堀。

二郭下に向かって伸びる竪堀。
これらの竪堀は敵を誘い込んで攻撃するための設備とも考えられます。

道から下へ伸びる竪堀。

搦手の堀切と土橋。

主郭と祠のある曲輪の間の堀切。
深さ5メートル程度、幅15メートル程度あります。

上の写真の堀切の先にある土塁を上から見たところ。
鷹留城内で見られる唯一の土塁です。

主郭の西にある祠のある曲輪。

祠のある曲輪とその西の曲輪の間の堀切。

城の北面を祠のある曲輪から見下ろしたところ。
腰曲輪が続いています。

主郭。
鷹留城落城の際の戦没者慰霊碑が建っています。

主郭と二郭の間の堀切。
二郭側の石段は後世造られたものです。

二郭を東側から見たところ。

二郭と三郭の間の堀切を二郭から見下ろしたところ。

三郭を二郭から堀切越しに見たところ。

下室田背後の山に築かれた連郭式の城です。長野氏四代70年の居城でしたが、武田信玄の攻撃を受けて落城しています。藪に覆われていますが、遺構はよく残っています。