2010年5月アーカイブ

  • 読み:さとみじょう
  • 別名:-
  • 所在地:群馬県高崎市(Mapionで位置を確認)
  • 主要城主:里見氏
  • 文化財指定:高崎市指定史跡(昭和63年5月16日)
  • 訪問日:平成22年4月24日

里見城は、里見川南岸の崖端に築かれた城で、新田義貞の子・義俊(里見氏を名乗る)によって築かれたと伝えられています。

嘉吉元年(1441)、義俊から数えて10代目の家基が結城合戦で戦死。その子・義実が房総へ移り里見城は廃城になりました。

二郭の北東に設けられた城山稲荷神社。
里見城の鬼門除けとして祀られたものと伝えられています。

二郭と三郭の間の堀切。
右が二郭、左が現在団地となっている三郭。

二郭。
大部分が墓地になっています。

二郭と主郭の間の堀切。
右が二郭、左が主郭。

主郭。
東西100メートル、南北70メートルほどの広大な曲輪です。

主郭を取り巻く土塁。

里見川南岸の台地上に築かれた城です。里見は新田義貞生誕の地といわれていますが定かではありません。二郭・三郭は墓地や団地となっていますが、主郭とその周辺の遺構がよく残されています。

  • 読み:きたあらなみとりで
  • 別名:-
  • 所在地:群馬県高崎市(Mapionで位置を確認)
  • 主要城主:不明
  • 文化財指定:群馬県指定史跡(昭和63年8月2日)
  • 訪問日:平成22年4月24日

北新波砦は、早瀬川と関端川に挟まれた平地に築かれた15世紀から16世紀にかけての館です。北新波砦が登場する史料は見つかっていませんが、この周辺の長野地区が長野市発祥の地であることから、長野氏とかかわりのある豪族の館であったと考えられています。

復元された主郭西側の堀。
幅5メートル、深さ1.5メートルほどです。

南側の堀。
郭内に突出部が設けられているので、湾曲しています。

東側の堀。
このような堀が主郭の四方を取り巻いていました。

主郭。
1辺75メートルほどのほぼ正方形の曲輪です。

主郭を取り巻く復元土塁。

主郭南側の突出部。
この辺りから土橋で郭外と連絡していたと考えられています。

主郭の南に建つ満勝寺の敷地には、土塁と堀切がわずかに残っています。

早瀬川と関端川に挟まれた平地に築かれた館跡です。現在は堀や土塁が復元され、史跡公園になっています。

  • 読み:ながいさかじょう
  • 別名:-
  • 所在地:群馬県渋川市(Mapionで位置を確認)
  • 主要城主:長尾・上杉氏、北条氏
  • 文化財指定:群馬県指定史跡(昭和55年9月16日)
  • 訪問日:平成22年4月24日

長井坂城は、利根川東岸の比高200mの台地上に築かれた城です。「加沢記」では永禄3年(1560)、長尾景虎が関東出陣に際して長井坂に陣を張り、降伏した沼田顕泰を引見したと伝えられていることから、永禄年代以降の築城と考えられています。

天正の初めになると、城は北条氏のものとなります。真田氏が沼田城を奪取すると、長井坂城は真田氏との攻防における重要な拠点の一つとなりました。天正18年(1590)、豊臣秀吉の小田原征伐により北条氏が滅びると、長井坂城も廃城となりました。

三郭の南の虎口を外側から見たところ。
土塁の橋に入口が設けられています。

三郭の南に設けられた堀切。

南の虎口から見た三郭。
ほとんどが農地になっています。

二郭と三郭の間の堀切。
右が二郭、左が三郭。
横矢がかけられているのが特徴です。

三郭から北を見たところ。
永井川に関越自動車道の永井橋がかかっています。

二郭を北の虎口から見たところ。
曲輪の北・東・南を土塁が取り囲んでいます。

城内を南北に貫通する沼田街道。

二郭虎口の北西に設けられた馬出し。
名前のとおりの機能を有した曲輪ではなさそうです。

二郭と主郭の間を通る沼田街道。
左が二郭、右が主郭です。

城の南端の追手。
沼田街道は堀底の道となっています

主郭の南側にある枡形的な構造の部分。
写真右の沼田街道側と写真左に土塁が設けられ、写真奥に主郭が広がっています。

主郭と四郭の間の堀切。
右が主郭、左が四郭。
幅は10メートルほどあります。

主郭と四郭の間の堀切から四郭側を見たところ。
四郭切岸の中ほどに、犬走りのような段が設けられています。

主郭。

四郭。

主郭西側の崖。
急峻で崩れやすいのか、ところどころ治山工事が施されています。

関越自動車道長井坂トンネルの真上に築かれた城です。北・西を高さ200メートルにも及ぶほぼ垂直な断崖によって守られています。城域の中央を沼田街道が貫通する珍しい城です。

  • 読み:わりのみやじょう
  • 別名:-
  • 所在地:群馬県吾妻郡中之条町(Mapionで位置を確認)
  • 主要城主:塩野谷氏
  • 文化財指定:-
  • 訪問日:平成22年4月24日

名久田川西岸の平地から伊勢宮の山の一帯に築かれた城で、16世紀中頃に斉藤氏配下の塩野谷将監が居城したと伝えられています。

吾妻神社。
境内のほとんどが和利宮城の平時の居館の敷地であったと考えられています。

現在の吾妻神社と伊勢宮の周辺に築かれた神社です。平時は吾妻神社に築かれた居館で暮らし、戦時になると伊勢宮の要害にこもっていたようです。伊勢宮付近にわずかに遺構が見られます。

  • 読み:いなりじょう
  • 別名:-
  • 所在地:群馬県吾妻郡東吾妻町(Mapionで位置を確認)
  • 主要城主:吾妻氏、斉藤氏、真田氏
  • 文化財指定:-
  • 訪問日:平成22年5月8日

稲荷城は、四万川西岸に突き出した舌状大地の先端部に築かれた城です。吾妻氏の居館であったといわれていますが、詳しいことはわかっていません。岩櫃城の東の出城として戦国時代まで使われていたのではないかと考えられています。

原町小学校付近から見た稲荷城。
写真中央の杉林の辺りが稲荷城主要部です。

城の麓に祀られる城山稲荷神社。
写真左の道を登っていくと、神社裏手の稲荷城へたどり着きます。

神社から登っていくと現れる主郭東虎口。
手前には土橋が設けられています。

主郭の東に設けられた堀切。
右が三郭、左が主郭。

三郭。
三郭の大部分は藪と宅地と農地になっいてます。

主郭。
周囲60メートルほどの5角形の曲輪です。

主郭をぐるりと取り囲む土塁。

主郭内部から西の虎口を見たところ。

主郭の西に設けられた堀。
左が二郭。右が主郭です。

主郭の西に設けられた二郭。
主郭虎口とは木橋で連絡していたものと考えられます。

二郭の北西に設けられた馬出しのような曲輪。
東・南・西に背の低い土塁が設けられています。

馬出しのような曲輪の西に設けられた堀切。
右が馬出しのような曲輪。
城域はさらに西へ続いていますが、藪に埋もれています。

原町小学校裏手の細長い台地の先端部に築かれた城です。城の歴史はよくわかっていませんが、主要部の遺構はよく残されています。