大葉沢城

  • 読み:おおばさわじょう
  • 別名:-
  • 所在地:新潟県村上市(Mapionで位置を確認)
  • 主要城主:鮎川氏
  • 文化財指定:新潟県指定史跡
  • 訪問日:平成22年6月12日

大葉沢城は、村上城の北東3.5kmほどの普済寺の裏山に築かれた城です。本庄氏の一族である鮎川氏の居城であると伝えられています。鮎川氏は上条憲定が守護代長尾為景に対し挙兵した上条の乱では上条氏側につき大葉沢城に篭城しますが、長尾景虎(上杉謙信)の代になるとそれに従います。

永禄11年(1568)に武田氏の策により本庄繁長が上杉謙信に対し反乱を起こしますが、鮎川清長は本庄氏に加担せず、謙信に従っています。のちに本庄繁長は謙信に降伏しますが、講和の条件が本庄氏の所領を削って鮎川氏に与えるとするものであったため、元亀2年(1571)に繁長は大葉沢城を攻撃しています。

慶長3年(1598)に上杉氏が会津へ移封となると、鮎川氏もそれに従い、大葉沢城は廃城となっています。

県道349号付近から見た大葉沢城。
左奥の寺山から右手前の宮山にかけての東西約700mに及ぶ山城です。

普済寺からの登り口。

登っていくと、薬師堂が現れます。

入口から5分ほどで尾根上の分岐に到達します。
奥が宮山、右が普済寺、手前が寺山です。

尾根を東へ登っていくと現れる寺山の曲輪の虎口。

寺山の曲輪の内部。
大葉沢城で最も広い曲輪で、まとまった兵力が駐屯できそうです。

尾根の分岐から西の宮山方向へ下っていくと現れる畝形阻塞。
土塁と堀切を交互に50本以上連続させたもので、全国的にも珍しい構造物です。
南西の本庄氏の方向に向かって造られています。

畝形阻塞の先にある二重堀切。

宮山の尾根上に築かれた雷神社。
寛治7年(1093)創建で、加茂次郎源義綱が出羽の属を征伐する際に京都の賀茂神社本社から勧進してこの地の鎮守にしたと伝えられています。
往時はこのあたりの曲輪から畝形阻塞の敵へ向かって狙撃していたと考えられています。

雷神社から降りてきたところ。
宮山側の登り口です。

普済寺の裏山に築かれた城で、その城域は普済寺裏の寺山から雷神社の建つ宮山までの東西約700mに及びます。宮山に築かれた50本以上の畝形阻塞は全国的にも珍しいものです。