五十公野城

  • 読み:いじみのじょう
  • 別名:-
  • 所在地:新潟県新発田市(Mapionで位置を確認)
  • 主要城主:五十公野氏
  • 文化財指定:-
  • 訪問日:平成22年6月12日

五十公野城は、新発田城の南東約4kmの小高い丘の上に築かれた城です。築城年代ははっきりしていませんが、五十公野氏によって築かれたとされています。

戦国時代、新発田重家は五十公野治長と称し五十公野氏を継いでいましたが、天正8年(1580)に実兄・新発田長敦の死により新発田氏に戻り、新発田氏を継ぎます。このため、重家の妹婿・長沢道如斎が五十公野氏を継ぎ、五十公野信宗と名を変えます。翌天正9年、重家が上杉景勝に対し反乱を起こすと信宗もこれに従います(新発田重家の乱)。反乱は7年に及びますが、天正15年(1588)、五十公野城は上杉方の藤田信吉に攻められ、信宗は配下の羽黒権太夫らによって討ち取られ、五十公野城は落城。以後、廃城となりました。

五十公野茶屋付近から見た五十公野城。
写真奥の小高い丘が主郭です。
二郭は東中学校の敷地になっており、以降はまったく残っていません。

新発田市老人福祉センター金蘭荘付近から主郭を見たところ。

主郭へと登る道。

主郭背後の二重堀切の東側の堀。
左側が主郭方面です。

主郭背後の二重堀切の西側の堀。
左側が主郭方面です。

主郭虎口。
最後の城主・五十公野信宗はこの辺りで配下の羽黒権太夫に馬上から引き摺り下ろされ、渋谷氏、川瀬氏らに首を掻き切られたと考えられます。

主郭。
五十公野城址の大きな碑が立っています。
碑の向こうは崖になっており、その下が二郭のあった東中学校の敷地です。

五十公野城の近くにある五十公野茶屋。
溝口氏時代の遺構です。

五十公野茶屋周囲に残る土塁。

溝口氏累代の霊を祀る豊田神社。

加治川西岸の小高い丘の上に築かれた城です。防御性に乏しい小城ですが、新発田重家の乱では防衛側の士気が高かったと見られ、上杉の大軍勢をてこずらせています。