水原代官所

  • 読み:すいばらだいかんしょ
  • 別名:-
  • 所在地:新潟県阿賀野市(Mapionで位置を確認)
  • 主要城主:歴代代官
  • 文化財指定:-
  • 訪問日:平成22年6月12日

水原代官所は、阿賀野川東岸の瓢湖付近の水原城跡に築かれた代官所です。

伊豆の大見氏は鎌倉幕府の成立に戦功のあり、12~13世紀にその子孫が白川荘の地頭職に任じられます。南北朝時代以降、大見惣領家は安田氏を、水原郷の庶家は水原氏を名乗り、水原氏は水原城を拠点としました。

水原氏は戦国時代には上杉謙信に仕え、天正6年(1578)の御館の乱では景勝側につき、天正9年(1581)に勃発した新発田重家の乱でも上杉氏側につきますが、天正11年(1583)に新発田城の包囲を解いて退却する際に新発田重家の追撃を受けて水原満家が討死。水原氏は一度断絶。水原城も落城し、新発田方の細越氏が水原城に入ります。天正12年(1584)~13年にかけて上杉方と新発田方の間で水原城の奪い合いが行われ、天正13年(1585)、上杉方が水原城を奪還。大関弥七が水原親憲を名乗り、水原城に入ります。慶長3年(1598)、上杉氏が会津へ移封となると、水原氏もこれに従い、水原城は廃城となりました。

江戸時代中期、水原周辺は幕府直轄地となっており、延享3年(1746)に水原城跡地に水原代官所が設置されます。代官所は慶応4年(1868)に会津藩預かりとなるまで続き、専任の代官は22代を数えました。明治時代には敷地内に水原尋常小学校が置かれ、平成7年(1995)に代官所が復元されています。

復元された表門。

復元された代官所。
内部も代官所平面図に基づいて復元されています。

代官所北東に建つ屋敷稲荷。

阿賀野川東岸の瓢湖の近くの水原城跡に築かれた代官所です。専任の代官は22人を数え、慶応4年(1868)に会津藩預かりとなるまで続きました。代官所の建物は代官所平面図に基づき、平成7年(1995)に復元されています。