宮野城

  • 読み:みやのじょう
  • 別名:-
  • 所在地:群馬県利根郡みなかみ町(Mapionで位置を確認)
  • 主要城主:尻高氏
  • 文化財指定:-
  • 訪問日:平成22年6月19日

宮野城は、赤谷湖に突き出した半島の上に築かれた城です。赤谷湖は昭和になって造られた人造湖なので、往時は赤谷川と西川の合流点に突き出した断崖上の城でした。天正2年(1574)に真田氏によって尻高城が落城し、城主景家は討死。景家の子・義隆は猿ヶ京に逃れ、この地に城を築いたのが始まりとされています。

尻高氏は越後の上杉謙信に仕え、謙信の関東進出の際には、宮野城が三国峠越えの宿所として使われました。天正6年(1578)に謙信が急死すると、尻高氏は北条氏直に仕えるようになります。天正8年(1580)、宮野城は武田氏配下の真田氏の攻撃を受け、陥落。尻高義隆は舒林寺にて自害し、宮野城は廃城となりました。

相俣のローソンから見た宮野城。
写真中央やや左の建物(ホテル湖城閣)の辺りが主郭、写真右の建物の辺り(城西学園研修施設)の辺りが二郭です。

二郭の様子。
土塁がわずかに残っています。

二郭から主郭を見たところ。
主郭はホテル湖城閣の敷地になっています。

主郭と二郭を隔てる堀。
左が主郭、右が二郭。

赤谷湖に突き出した半島城に築かれた城です。現在はホテル湖城閣や城西学園の研修施設、宅地、農地になっていますが、土塁や堀切がわずかに残っています。