鍋倉城

  • 読み:なべくらじょう
  • 別名:横田城、遠野城
  • 所在地:岩手県遠野市(Mapionで位置を確認)
  • 主要城主:阿曽沼氏、南部氏
  • 文化財指定:-
  • 訪問日:平成22年7月31日

鍋倉城は、遠野盆地の南端、来内川南岸に築かれた城です。天正年間(1573~91)に阿曽沼広郷は横田城からこの地に本拠を移して城を築き、始めは横田城と呼ばれました。阿曽沼広郷は現在の遠野市から釜石市を支配していましたが、天正18年(1590)の秀吉の小田原攻めに参加しなかったことから、八戸の南部信直の配下に組み込まれます。

慶長5年(1600)、広郷の子の阿曽沼広長は、一族の鱒沢氏に遠野を追われ、世田米を拠点に伊達政宗の支援を受けながら遠野奪還を試みますが、かなわず没落していきます。寛永4年(1627)、八戸から南部直義が遠野に入部。鍋倉城は、明治2年(1869)に廃城となるまで遠野南部氏1万2500石の居城となりました。

鍋倉城の北の登城口。
南部神社の鳥居が建てられています

南部神社。
遠野南部氏の祖である南部実長から8代政光までを祭神としています。
写真左手から本丸方面へと登れます。

南部神社から本丸方面へと至る道。

本丸北西に設けられた沢里屋敷。
南部氏重臣の沢里氏の屋敷があったとされています。

本丸。
東西50メートル、南北150メートルほどの広大な曲輪です。
城の屋敷は南北に長い平屋で、屋根は茅葺であったと伝えられています。

本丸にあった八幡神社跡。

本丸玄関跡。

本丸の東に設けられた大手門の跡。
阿曽沼氏の時代には二階造りの二楼門でしたが、慶長7年(1602)に四ツ足門に改められました。

本丸の東に設けられた三の丸。
南部氏重臣の中館氏、福田氏の屋敷があったとされています。

三の丸から遠野市街を見たところ。

三の丸に造られた模擬天守風の展望台。

本丸と二郭の間に設けられた深さ5メートルほどの空堀。
右が本丸、左が二郭です。

二の丸御門跡。

本丸の南に設けられた二の丸。
現在は墓地になっています。

遠野盆地の南端、来内川南岸に向かって突き出した小山に築かれた城です。現在は鍋倉公園として整備されています。