新城城

  • 読み:しんしろじょう
  • 別名:-
  • 所在地:愛知県新城市(Mapionで位置を確認)
  • 主要城主:奥平氏、池田氏、菅沼氏
  • 文化財指定:新城市指定史跡(昭和33年4月1日)
  • 訪問日:平成22年9月25日

新城城は、豊川北岸の崖上に築かれた城で、長篠の戦で戦功のあった奥平信昌によって天正4年(1576)に築いたのが始まりです。それ以前の奥平氏の居城であった長篠城に対しての新城でしたが、すでに菅沼氏によって「新城(しんじょう)」と呼ばれる城が築かれ、区別するために「しんしろ」と呼ぶようになったともいわれています。

天正18年(1590)、奥平氏が仕えていた徳川家康が関東へ移封となると、奥平信昌もそれにあわせ上野国宮崎(現群馬県富岡市)へ移り、代わって池田輝政が新城に入ります。関ヶ原の合戦後、池田氏は姫路へと移り、新城辺は天領となり、新城城もいったん廃城となります。

慶安元年(1645)、旗本の菅沼定実が7000石で新城に入り、新城城の跡に陣屋を構え、明治2年の廃藩置県まで在城しました。

豊川にかかる笠岩橋からの新城城遠景(写真中央やや右の緑色が薄い辺り)。
豊川の断崖に守られていることがわかります。

新城小学校の敷地内に残された本丸土塁。
土塁の上には新城城址の碑が建っています。

本丸土塁の上から本丸跡を見たところ。
本丸は現在、新城小学校の敷地になっています。

本丸の東に設けられた堀。
右が本丸、左が二の丸。
堀は豊川の断崖へと続いています。

城の南を流れる豊川。
新城城周辺の西船入、東船入という地名から、豊川が水運として利用された可能性が考えられます。

豊川北岸の断崖上に築かれた城です。新城市の「しんしろ」の由来にもなっている城です。現在は市街化が進み、本丸は新城小学校の敷地、二の丸は宅地になっています。