野田城

  • 読み:のだじょう
  • 別名:根古屋城
  • 所在地:愛知県新城市(Mapionで位置を確認)
  • 主要城主:菅沼氏
  • 文化財指定:新城市指定史跡(昭和33年4月1日)
  • 訪問日:平成22年9月25日

野田城は、豊川北岸の桑渕、龍渕に挟まれた細長い台地上に築かれた城で、永正5年(1508)に菅沼定則によって築かれたとされています。菅沼氏は今川氏に従属していましたが、永禄4年(1561)に桶狭間の戦いで今川義元が戦死すると、菅沼定盈は今川氏を離反し松平氏に従属。今川氏は野田城を包囲し、定盈は開城して退去します。翌年、定盈は野田城を奪回するものの、荒廃した野田城の修復には年月が必要であり、大野田城を仮本拠とします。

元亀2年(1571)、大野田城は武田氏の襲撃を受けて炎上し、定盈は修復中であった野田城に移ります。元亀4年(1573)、野田城を攻めた武田信玄は、金鉱人足を使い城内の水の手を破壊。定盈は城を明け渡します。この戦いで、武田信玄が野田城内から聞こえてくる笛の音に聞き惚れていたところを狙撃され、その傷が原因で死亡したとの伝説が残っていますが、定かではありません。

武田氏撤退後、定盈は再度野田城に入りますが、天正18年(1590)に徳川家康が関東へ移封となると、定盈もそれに付随。その後、野田城は廃城となっています。

二郭と主郭をつなぐ土橋。
奥が主郭、手前が二郭。

主郭を取り囲む堀を主郭・二郭間の土橋から見たところ。
深さは6メートルほどあります。

主郭。
現在は杉林になっています。

主郭の土塁。
土塁上に稲荷社が祀られています。

主郭南の虎口。
切通し状になっています。

主郭の北に設けられた二郭。

二郭の北に設けられた三郭。
三郭から北は藪化しています。

豊川北岸の桑渕、龍渕に挟まれた細長い台地上に築かれた連郭式の城です。上洛を目指していた武田信玄はこの城を攻略した直後に病気にかかり、撤退しています。