石橋城

  • 読み:いしばしじょう
  • 別名:弾正屋敷
  • 所在地:愛知県新城市(Mapionで位置を確認)
  • 主要城主:石橋氏
  • 文化財指定:-
  • 訪問日:平成22年9月26日

石橋城は、巴山南東麓の盆地内に築かれた城で、奥平貞久の次男・久勝によって築かれたとされています。久勝は近辺の地名を取って石橋氏を名乗り、奥平貞昌(のちの信昌)の家臣となっています。

天文6年(1537)、久勝の息子の繁昌は、主君への謀反が発覚し、奥平貞勝の命を受けた土佐定雄により石橋城を攻められ敗北。石橋氏一党42名はことごとく討ち取られ、その死骸は城内の一穴に埋められたと伝えられています。

後年、石橋氏を哀れんだ徳岩明和尚が奥平貞勝に願い出、石橋城跡に慈昌院を建立しています。

国道301号と県道37号の交差点から見た石橋城。
比高5メートルほどの台地の先端を造成して造られていることがわかります。

慈昌院山門正面から石橋城を見たところ。

主郭。
40メートル四方ほどの曲輪です。
北側には土塁が残っています。
土塁の向こうには堀がありますが、半ば藪化しています。

主郭の土塁。
高さ2メートルほどです。

土塁の一角に設けられた祠「奥平弾正宮」。
石橋氏一党42名の亡骸が一所に埋められたと伝えられる場所です。

巴山南東麓、国道301号と県道37号の交差点付近に築かれた城です。単郭式の簡単なつくりで、現在は石橋山慈昌院が建てられています。