亀山城

  • 読み:かめやまじょう
  • 別名:作手城
  • 所在地:愛知県新城市(Mapionで位置を確認)
  • 主要城主:奥平氏・奥平松平氏
  • 文化財指定:-
  • 訪問日:平成22年9月26日

石橋城は、巴山南東麓の盆地内の小高い丘に築かれた城で、応永31年(1424)8月に奥平貞俊がそれまでの居城であった川尻城に替わる居城として築いたのが始まりです。天正元年(1573)8月には、古宮城まで勢力を伸ばした武田氏の攻撃を受けていますが、石堂ヶ根、田原坂等に転戦しこれを撃退。この戦功が織田信長に認められ、奥平貞昌(長篠の合戦後に信昌と改名)は長篠城主に命じられています。

慶長7年(1602)、信昌の第四子・松平忠明が作手藩1万7千石の藩主として入城しますが、8年後の元和3年(1617)に伊勢亀山城へ移っています。その後は三河代官の小川氏綱が数年間居城しますが、それ以降は廃城となっています。

国道301号から見た石橋城。
比高20メートルほどの台地に造られています。

南側の仙房地区から登っていったところ。
写真奥の虎口の先が主郭、写真左の先が西曲輪です。

主郭南西の虎口から見た西曲輪。
丸馬出しのようになっています。

主郭南西の虎口から見た主郭。
40メートル×30メートルほどの広さで、高さ2メートルほどの土塁に囲まれています。

主郭を取り囲む土塁。

二郭から見た主郭北東の虎口。

主郭の北東に築かれた二郭を主郭北東の虎口から見たところ。
写真手前から左に向かって傾斜がついていますが、その先は虎口になっています。

二郭北の虎口を外側から見たところ。

二郭南の虎口を外側から見たところ。

大手口を南から見たところ。
写真奥の平は主郭です。

大手口の東に設けられた東曲輪。
周囲を土塁が取り囲んでいます。

大手口の南に設けられた武家屋敷の跡。

武家屋敷の東には大規模な堀切が設けられています。

奥平氏が居城としていた城です。道の駅つくで手作りむらの東方の丘の上に築かれています。