平賀城

  • 読み:ひらかじょう
  • 別名:-
  • 所在地:長野県佐久市(Mapionで位置を確認)
  • 主要城主:平賀氏、大井氏、武田氏
  • 文化財指定:長野県指定史跡(昭和46年5月27日)
  • 訪問日:平成23年4月17日

平賀城は、千曲川東岸にそびえる城山に築かれた山城です。その築城年代ははっきりしていませんが、中世初期に平賀義信によって築かれ、以後佐久郡南部に勢力を張った平賀氏の居城となりました。

文安3年(1446)を最後に平賀氏は史料から名前が消え、このときに平賀氏は滅亡したものと考えられています。以後は大井氏の城番が平賀城に在城しますが、大井宗家は文明16年(1484)に滅亡。天文9年(1540)以降、平賀城は武田氏のものとなりますが、その後については不明です。

正安寺墓地の南に設けられた堀切。

さらに南、出丸の切岸の北に設けられた堀切。

出丸。
主要部からは独立した構造で、北からの攻撃からの備えとなっています。

出丸の城塁に見られる石積。

出丸と主要部の接続部分。
写真左に腰曲輪がいくつか続いています。

主要部の北面に設けられた搦手曲輪。
斜面の上が主要部ですが、高低差は10m近くあります。

主郭。
東屋が建っています。

主郭の西に設けられた二郭から主郭方向を見たところ。
礎石や石積が見られますが、形状から神社の跡ではないかと考えられます。

二郭の西に設けられた三郭。
主郭や二郭に比べ起伏があります。

二郭と三郭の境。
主郭と二郭の境にあるような石積は見られません。

三郭の西端から主要部を見たところ。

三郭から西側斜面を降りていくと、このような腰曲輪がいくつも見られます。

西側斜面のあちこちに石積が見られます。

さらに下っていくと南側斜面にも腰曲輪が現れます。
写真の場所では石積が互い違いに置かれ、枡形構造となっています。

上の写真の下の腰曲輪には、石積を伴った畝状の土塁が3本ほど見られます。
用途は不明です。

水の手。
水は豊富であったようで、このすぐ下に現在の水道施設が見られました。

千曲川東岸の正安寺の裏山に築かれた山城です。多くの腰曲輪群が特徴で、平賀氏の勢力の大きさが見て取れる城です。