青柳城

  • 読み:あおやぎじょう
  • 別名:-
  • 所在地:長野県東筑摩郡筑北村(Mapionで位置を確認)
  • 主要城主:青柳氏
  • 文化財指定:長野県指定史跡(昭和49年3月22日)
  • 訪問日:平成22年12月18日

青柳城は四阿屋山の北西尾根の先端に築かれた山城です。築城時期はわかっていませんが、麻績氏の一族である青柳氏によって築かれたとされています。

青柳氏は信濃守護の小笠原氏に従属していましたが、天文19年(1550)に小笠原長時が武田信玄に敗れると、青柳清長は武田氏に従属します。天文22年(1553)の第一次川中島合戦では、武田信玄が一時この城に滞在しています。この合戦では、更級郡から筑摩郡へ進出した長尾景虎の軍勢によって青柳城に火が放たれています。天正10年(1582)に武田氏が滅亡すると、青柳氏は旧領へ戻った小笠原氏に従属。しかし天正15年(1587)に青柳頼長は深志城にて殺され、青柳氏は滅亡します。

その後、青柳城は小笠原氏のものとなり、城番に松林氏が置かれましたが、慶長年間(1596~1615)に廃城となっています。

搦手に建てられた模擬櫓門。
往時にはこれほど立派な門は建っていなかったと考えられます。

搦手から尾根の先端方向へ向かっていくと、堀切がいくつも現れます。
写真は二重堀切。

五郭。
奥が主郭方向です。

五郭の搦手側に設けられた土塁。

五郭の土塁にはわずかに石積が見られます。

四郭。

四郭先端から、三郭、二郭、主郭を見たところ。
三郭中央に模擬冠木門が建っていますが、本来は曲輪を分断するような位置には建っていません。

三郭から麓の清長寺へと続く大手の道。

二郭。
奥の土手の上が主郭です。

主郭の北側にだけ設けられた布目積みの石積。
このあたりの遺構は小笠原貞慶時代に城が拡張された際のものです。

主郭の虎口。

主郭。
写真奥の高台には見張り台が置かれていたと考えられています。

主郭からの眺め。

四阿屋山の北西尾根の先端に築かれた山城です。実戦の行われた数少ない山城の一つであり、武田氏、小笠原氏の改修により、各時代の特色が残っています。