2011年7月アーカイブ

  • 読み:まつくらじょう
  • 別名:-
  • 所在地:岐阜県高山市(Mapionで位置を確認)
  • 主要城主:三木氏(姉小路氏)、金森氏
  • 文化財指定:岐阜県指定史跡(昭和31年11月14日)
  • 訪問日:平成23年7月9日

松倉城は、高山盆地の南西、松倉山に築かれた山城です。三木氏によって永禄年間(1558~1570)から天正年間中頃(1573~)に築かれたとされています。三木氏は永禄元年(1558)に多賀山氏と山田氏を討ち、天正5年(1577)には岡本氏を討って白川郷を除く大野郡一帯を制圧。益田郡の桜洞城を冬城に、松倉城を夏城としました。

天正10年(1582)に本能寺の変で織田信長が急死すると、三木氏は越中の佐々成政に協力し豊臣秀吉と敵対します。天正13年(1585)、松倉城は豊臣秀吉配下の金森長近・可重親子に攻められ、味方の裏切りにより落城。三木氏は降伏し、金森氏には秀吉から飛騨一国が与えられ、松倉城も金森氏のものとなります。その後、金森氏によって改修が行われますが、高山城築城により廃城となっています。

松倉観音への遊歩道から見た松倉山。
この山の上に松倉城が築かれました。

松倉城への歩道の入口。

入口から尾根上の道を進むと現れる堀切。
さほど深くはありません。
なお、この登城口は搦手側になります。

突然現れる三の丸の石垣。

三の丸の石垣の脇を進んでいくと本丸の石垣が現れます。

本丸の石垣の脇の搦手門跡。

本丸の西に設けられた三の丸。
東西に長い形をしています。

三の丸の西端に残る西南隅櫓跡。

三の丸の南側の石垣。

本丸の南に残る東南隅櫓跡。

東南隅櫓跡の脇に残る南石問の跡。

東南隅櫓跡付近から見た本丸の石垣。
わずかに横矢がかけられています。

東南隅櫓跡付近から見た二の丸の南面。
石垣は用いられず、切岸になっています。

本丸の東に伸びる二の丸。

二の丸の東端に残る大手門跡。

大手門跡の脇には井戸の跡が残っています。

二の丸でひときわ目立つ巨石・旗立台。

二の丸から本丸への虎口。

本丸の虎口。

本丸。
20メートル四方ほどの広さです。

本丸には土塁が残されています。

本丸から見た高山市街。

飛騨民俗村「飛騨の里」の裏山・松倉山上に築かれた山城です。戦国期の山城には珍しく石垣がふんだんに使われていますが、金森氏の改修によるものと思われます。

  • 読み:ますじまじょう
  • 別名:-
  • 所在地:岐阜県飛騨市(Mapionで位置を確認)
  • 主要城主:金森氏
  • 文化財指定:-
  • 訪問日:平成23年7月9日

天正17年(1589)頃に金森長近によって宮川の支流・荒城川の北岸に築かれた平城です。元和5年(1619)、一国一城令によって廃城となり、以後は古川旅館として金森氏の旅館・別邸として利用されました。

増島城本丸。
現在石垣の上には増島天満神社が祀られています。

本丸を囲む水濠。

JR高山本線飛騨古川駅のすぐ近く、荒城川北岸に築かれた平城です。江戸時代の早い時期に廃城となったうえに町中にあったこともあり、明治初期には本丸以外の遺構はほとんど残っていなかったといいます。