2011年11月アーカイブ

江戸城外堀

おおよそ現在の外堀通りの通っているあたりが江戸城外堀です。神田川や弁慶堀など今も水を湛ええているところも見られます。

浅草橋。

浅草橋から見た神田川。
写真奥で隅田川に合流しています。

浅草橋から秋葉原方面を見たところ。

浅草橋の袂に立つ浅草見附跡の碑。

往時の筋違見附付近にかけられた秋葉原の万世橋。

万世橋から浅草橋方面を見たところ。

聖橋から秋葉原方面を見たところ。

聖橋から水道橋方面を見たところ。
写真左はJR御茶ノ水駅です。

JR水道橋駅付近の後楽橋から御茶ノ水方面を見たところ。

JR飯田橋駅西口の目の前に残る牛込見附の石垣。

JR市ヶ谷駅のホームから市ヶ谷見附の橋の土台を見たところ。

市ヶ谷見附跡から四谷方面を見たところ。

市ヶ谷見附から四谷見附の間に残る土塁。

四谷見附。
写真に写る石垣の裏から市ヶ谷方面へ向けて土塁が伸びています。

JR四ッ谷駅。
奥が市ヶ谷方面。
このあたりから南の外堀は現在では水がなくなっています。

上智大学真田堀グラウンド。
真田堀の名は、このあたりの築城を真田信之が請け負ったことに由来しています。

食い違い見附。
現在残る唯一の土塁による見附です。
このあたりは江戸城外堀の中で最も標高が高いところでもあります。

弁慶堀。
奥が食い違い見附方面。

弁慶橋から見た赤坂見附。
首都高速が見附の石垣の下に潜り込んでいます。

弁慶橋付近の紀伊徳川家屋敷跡。

赤坂見附の石垣。

赤坂見附の交差点。
外堀の名残でこのあたりが周りよりも低くなっているのがわかります。

山王日枝神社。
元々は太田道灌の時代に江戸城の鎮守として祀られ、徳川の時代も引き続き祀られました。

山王日枝神社から見た外堀通り。

溜池の交差点。
溜池の名のとおりここも外堀の水が湛えられていました。

商船三井ビルディングと虎の門三井ビルディングの間に残る虎ノ門見附の石垣。
大部分がコンクリートに埋まっています。

日比谷公園の北東隅に残る日比谷見附。

日比谷公園の心字池。
外堀の名残です。

日本橋川

徳川家康は江戸入封後、日比谷入江へ流れ込んでいた平川を外堀に繋ぎ替え、これが現在の日本橋川の原形となりました。

日本橋。
江戸時代の五街道の起点であり、現在は日本国道路原標が設置されています。

常盤橋門。
奥が新常盤橋方面。

鎌倉橋から神田橋方面を見たところ。

神田橋から鎌倉市方面を見たところ。

錦橋から神田橋方面を見たところ。

錦橋から一ツ橋方面を見たところ。
奥の一ツ橋の左に一ツ橋門の石垣が見えます。

一ツ橋門の石垣。

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  • 読み:やづつじょう
  • 別名:牟礼城、黒川城
  • 所在地:長野県上水内郡飯綱町(Mapionで位置を確認)
  • 主要城主:福王寺氏、島津氏
  • 文化財指定:-
  • 訪問日:平成23年9月18日

矢筒城は、八蛇川南岸の矢筒山に築かれた城です。永正年間(1504~1520)には既に福王寺氏の要害として存在していましたが、島津氏の本拠地という説もありはっきりしていません。天正10年(1582)に織田信長が信濃に進攻すると、武田勝頼から援軍の要請を受けた上杉景勝は矢筒城に兵を集結させており、矢筒城が上杉氏の重要な拠点のひとつであったことがわかっています。

昭和54年(1979)の発掘調査で館跡が見つかった東麓の飯綱病院。
発掘調査以前は城は山の上にのみ築かれていたと考えられていました。

飯綱病院から矢筒山山頂へと続く大手道の入口。

大手道の入口から北側を見たところ。
堀の跡が残っています。

大手道から主郭へ向かう途中にはこのような削平地がいくつか見られます。

主郭。
東西60メートル、南北40メートルほどの曲輪です。
中央には平和観音が祀られています。

主郭の西、南、東を囲む二郭。

二郭に残る石積。
主郭への虎口を構成していたものと考えられます。

二郭の南には帯曲輪が設けられています。

八蛇川南岸の矢筒山に築かれた城です。城はかつて山の上のみに築かれたと考えられていましたが、昭和54年(1979)の発掘調査で東麓から館跡が見つかっています。

  • 読み:おおみねじょう
  • 別名:-
  • 所在地:長野県長野市(Mapionで位置を確認)
  • 主要城主:大峰氏
  • 文化財指定:-
  • 訪問日:平成23年9月18日

大峰城は善光寺平の北に聳える大峰山の山頂部に築かれた山城です。城主として大峰蔵人の名が伝えられていますが、この人物の詳細は不明で、大峰城もいつ築かれたのかはわかっていません。位置と規模から上杉方が川中島合戦に際して築いた城のひとつと考えられています。

主郭の南に設けられた駐車場。
改変こそされているものの何らかの曲輪があったと思われます。

駐車場から望む善光寺平。

どこか南国風な模擬城門。
この奥は主郭へと続いています。

主郭に建つ模擬天守。
昭和37年(1962)に「大峰城チョウと自然の博物館」として築かれましたが、平成19年(2007)に閉館となり、内部に入ることはできません。

模擬天守の西には大規模な堀切が残っています。

善光寺平の北に聳える大峰城の山頂部に築かれた山城です。模擬天守「大峰城チョウと自然の博物館」が建っていますが、現在は閉館となり内部に入ることはできません。

  • 読み:すだじょう
  • 別名:臥竜山城
  • 所在地:長野県須坂市(Mapionで位置を確認)
  • 主要城主:須田氏
  • 文化財指定:須坂市指定史跡(昭和45年5月25日)
  • 訪問日:平成23年9月24日

須田城は、百々川の北岸に聳える臥竜山の南西の峰に築かれた山城です。鎌倉時代から戦国時代にかけて現在の須坂周辺を支配した須田氏によって、室町時代に築かれたとされています。須田氏の居城は本郷の大岩城にあり、須田城はその支城として築かれたと考えられています。須田氏は川中島の戦いでは上杉方につき、慶長3年(1598)に上杉氏が会津へ転封となると、須田氏もそれとともに会津へ移り、同時に須田城は廃城となったと考えられています。

北麓の須坂市立博物館付近から見る須田城(中央の山)。
手前の竜ヶ池は昭和6年(1931)に造られたもので、この部分に館があったといわれています。

須坂市立動物園の脇から登る登城口。

北西に細長く伸びる平。
ここも何らかの曲輪であったと思われます。

主郭と二郭を隔てる堀切を南側から見たところ。
右側が主郭、左側が二郭です。

二郭への虎口。
外側に土塁を設けて枡形を構成しています。

二郭への虎口には石積が見られます。

二郭。

主郭の北に設けられた馬場と呼ばれる広場。
名前ほど広くありません。

主郭。

主郭から東へ下っていくと現れる須坂藩13代藩主・堀直虎の霊廟。

須田城北面から望む臥竜公園。

千曲川の支流・百々川の北岸に聳える独立峰・臥竜山の南西の峰に築かれた城です。現在は臥竜公園の一部となっています。