林大城

  • 読み:はやしおおじょう
  • 別名:金華山城
  • 所在地:長野県松本市(Mapionで位置を確認)
  • 主要城主:小笠原氏
  • 文化財指定:長野県指定史跡(昭和45年10月22日)
  • 訪問日:平成23年11月26日

林大城は筑摩山地の西側に突き出した尾根上に築かれた山城で、南北朝争乱の功績により信濃守護となり府中(現在の松本)に入った小笠原貞宗によって築かれました。麓の大嵩崎集落を挟んだ林小城とあわせて林城とも呼ばれています。小笠原氏は、林城と平地に築いた井川城を拠点とし、周囲の山々に次々と山城を築き上げ、防衛線を構築していきます。

天文17年(1548)、武田氏が上田原合戦で敗れたのを機に小笠原長時は塩尻峠を越えて諏訪へ進攻します。しかし家臣の裏切りにより撤退を余儀なくされます。天文19年(1550)、武田氏の猛攻を受けて林城は自落。その後、武田氏は深志城(松本城)を信濃進出の拠点とし、林城は破却されました。

千鹿頭山北麓から見た林城。
盆地に向かって突き出した二つの尾根のうち奥の尾根の上に林大城は築かれました。

麓から頂上へ向かう大手道沿いには曲輪が段々にいくつも設けられています。

林大城へは東麓の橋倉集落からこの場所まで車で登ることができます。
ここは広くなっていて、三郭が設けられていたようです。

上の写真の石段の上から三郭を見下ろしたところ。
写真奥に往時の大手道が続いています。

石段を登った先の二郭。
現在は東屋が設けられています。

二郭から主郭へ向かう坂。
写真中央やや上で小段が設けられています。

主郭。
こちらにも東屋が建てられています。
三郭から主郭まで石段や石畳が設けられていますが、これは後世に建てられた神社の遺構ではないかと思われます。

主郭をぐるりと取り囲む土塁。

主郭の東側の土塁の一部には石積が見られます。

主郭の北側に設けられた曲輪。

主郭背後の曲輪。

主郭背後にはいくつか堀切が設けられています。

薄川南岸、筑摩山地から突き出した尾根の上に築かれた林城の大城です。小笠原氏はここを拠点としましたが、武田氏はここを破却し、深志城(松本城)を信濃進出の拠点としました。