川越城

  • 読み:かわごえじょう
  • 別名:河越城、初雁城
  • 所在地:埼玉県川越市(Mapionで位置を確認)
  • 主要城主:扇谷上杉氏、北条氏、酒井氏ら徳川譜代大名
  • 文化財指定:埼玉県指定史跡(大正14年3月31日)
  • 訪問日:平成23年12月23日

川越城は、長禄元年(1457)に扇谷上杉氏の上杉持朝が古河公方の南進に備えて太田道真・道灌親子に築かせたのが始まりとされています。その後川越城は扇谷上杉氏の穂居となりますが、天文6年(1537)、川越城は北条氏綱によって奪取されます。天文14年(1545)、関東管領山内上杉氏の上杉憲政と扇谷上杉氏の上杉朝定は古河公方足利晴氏を味方に引き入れ、北条綱成の守る川越城を包囲。当時北条氏康は駿河の今川義元と交戦状態にあったため本格的な援軍を川越城に送れずにいましたが、翌天文15年、今川氏との和睦を結び川越城へ出陣。上杉方に奇襲攻撃を仕掛けます。これによって上杉朝定は討ち取られ扇谷上杉氏は断絶。武蔵は北条氏の支配下に入りました(河越夜戦)。

天正18年(1590)の小田原征伐においては、前田利家、上杉景勝らによって包囲され降伏。徳川家康が関東に移封されると、川越は江戸防衛の要衝となり、酒井氏ら徳川家譜代大名が領主を務めるようになります。寛永16年(1639)、松平信綱によって拡張整備が行われ、本丸・二の丸・三の丸・追手曲輪・新曲輪などが整備され、9万9千坪の巨大城郭となりました。

大手門。
現在の川越市役所のあたりが大手門でした。

川越市役所の前に立つ太田道灌の像。

太田道灌の像の横の川越城図。
相当に大規模な城郭であったことがわかります。

外曲輪と中曲輪を隔てていた中ノ門の模擬冠木門。

発掘された中ノ門堀。
城の内側のほうが勾配が急になっています。

二の丸。
現在は川越市立博物館と美術館が建っています。

本丸門。
奥に本丸御殿が見えます。

本丸御殿。
嘉永元年(1848)に建てられたものです。明治以降は入間県庁舎、入間郡公会所、専売曲淀橋専売支局川越分工場(煙草工場)、初雁武徳殿、川越市立第二中学校仮校舎・屋内運動場、武道場と様々な用途に利用されましたが、昭和42年(1967)に大規模な修理が行われ、現在のような公開施設となりました。

本丸御殿の奥に建つ家老詰所。
明治初期に解体され現在のふじみ野市の商家に再築されましたが、昭和62年(1987)に川越市に寄贈され、現在の位置に移築されました。

家老詰所内ではこのような人形が会議を開いています。

天神曲輪に祀られた三芳野神社。
城が現役のころにはすでに鎮座していていました。「とおりゃんせ」の歌の発祥の地といわれています。

本丸(右)と八幡曲輪(左)を隔てる堀。
写真奥で右に折れています。

本丸の南西端に設けられた富士見櫓。
櫓台の上に三層の櫓が建っていました。

富士見櫓の櫓台上部。
現在は御嶽神社が祀られています。

現在の川越市中心部に建てられた城です。江戸時代には江戸防衛の要衝として徳川譜代大名が城主を務めています。日本100名城に選定されています。